呻吟語 / 内篇・存心・靈台の内の許多の荊榛
目不容一塵,齒不容一芥,非我固有也。如何靈台內許多荊榛,卻自容得?
新字:目不容一塵,齒不容一芥,非我固有也。如何霊台内許多荊榛,却自容得?
書き下し
目は一塵を容れず、齒は一芥を容れず、我が固有に非ざればなり。如何ぞ靈台の内の許多の荊榛、卻つて自ら容れ得たる。
現代語訳
目は一粒の塵も入れておけず、歯は一本のかすも入れておけません。もともと自分のものではないからです。それならどうして心の中のたくさんのいばらを、かえって自分で容れておけるのでしょうか。
解説
体の感覚と心の感覚が比べられます。目に塵が一粒入れば我慢できず、歯にかすが挟まれば取らずにいられない。異物だとすぐ分かるからです。ところが心の中にいばらが茂っていても平気でいられる。この落差が問われます。心の異物に対する感度が、体に比べて鈍いという指摘で、自覚を促す問いの形で置かれています。体には即座に反応するのに、心の異物には何年も気づかないことがあります。
この章句が説くこと
異物感度荊榛自覚落差
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