呻吟語 / 内篇・談道・我を以て分別すれば、自ら是れ分別し得ず
萬事萬物有分別,聖人之心無分別,因而付之耳。譬之日因萬物以為影,水因萬川以順流,而日水原無兩,未嘗不分別,而非以我分別之也。以我分別,自是分別不得。
新字:万事万物有分別,聖人之心無分別,因而付之耳。譬之日因万物以為影,水因万川以順流,而日水原無両,未嘗不分別,而非以我分別之也。以我分別,自是分別不得。
書き下し
萬事萬物に分別有り、聖人の心に分別無し、因りて之を付するのみ。之を譬ふるに、日は萬物に因りて以て影を為し、水は萬川に因りて以て順ひ流る。而して日水は原と兩つ無し。未だ嘗て分別せずんばあらず、而れども我を以て之を分別するに非ざるなり。我を以て分別すれば、自ら是れ分別し得ず。
現代語訳
万事万物には区別がありますが、聖人の心には区別がなく、ただそれに任せるだけです。たとえれば、日は万物によって影を作り、水は万の川に従って流れます。しかし日も水ももともと二つではありません。区別しないのではありませんが、自分の側で区別しているのではないのです。自分の側で区別すれば、かえって区別がつかなくなります。
解説
区別の付け方が問われます。万物には区別があるが、聖人の心には区別がなく、対象の側に任せる、と。日が物の形のとおりに影を作り、水が川の形のとおりに流れるように。そして最後の一句が逆説です。自分の側で区別しようとすると、かえって区別がつかなくなる。先入観を持って見分けようとするほど見誤るという、実感のある指摘です。
この章句が説くこと
分別無分別日水先入観逆説
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・己は與らざるなり聖人の事に處するは、日月の四照するが如く、物に隨ひて影を為す。水の四流するが如く、地に隨ひて形を成す。己は與らざるなり。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・吾が心の天故の如し日の萬形に於ける、鑒の萬象に於ける、風の萬籟に於ける、尺度權衡の輕重長短に於ける、聖人の萬事萬物に於けるは、其の本然に因りて自然を以て付し、分毫も我與る所無し。然る後に感ずる者は常に平らかに、應ずる者は常に逸なり。喜も亦た天、怒も亦た天にして、吾が心の天故の如し。萬感劻勷し、眾動轇轕するも、吾が心の天故の如し。
-
『呻吟語』内篇・存心・鏡は物の聖人なり聖人は虛明を懸けて以て天下の感を待ち、意を先にして以て天下の事に感ぜず。其の感ずるや、我が胸中の道理を以て之に順應す。其の感ずる無きや、此の心空空洞洞、寂然曠然たり。之を鑑に譬ふ。光明此に在り、物來たれば則ち之を照らし、物去れば則ち光明自ら在り。彼れ事未だ來たらずして意必するは、是れ鑑を持して物を覓むるなり。嘗て謂ふ、鏡は物の聖人なりと。鏡は日〻萬物を照らして常に明らかなるは、心無くして勞せざるが故なり。聖人は日〻萬事に應じて累はされざるは、心有りて役せられざるが故なり。夫れ惟だ物に役せられて而る後に心を累はし、而る後に應ずるに偏著有り。
-
『呻吟語』外篇・品藻・只だ是れ此の心虛平なり是れ賢者と見れば、就ち意を著けて迴護し、過差有りと雖も、都て好き邊に向かひて他の為に想ふ。是れ不賢者と見れば、就ち意を著けて搜索し、偏長有りと雖も、都て惡しき邊に向かひて他の為に想ふ。宋儒より以來率ね此の失に坐す。大叚都是れ個の偏識見なり。所謂る好みて其の惡を知らず、惡みて其の美を知らざる者なり。惟だ聖人のみ便ち此の失無し。只だ是れ此の心虛平なり。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・聖人は時として夜氣ならざる無し聖人の胸中は萬理渾然たり。寂なる時は則ち衡を懸け鑒を懸くるが如く、之に感ずれば則ち江河を決するが若し。未だ故無くして自ら一善念を發する有らず。善念の發するは、胸中純善ならざるの故なり。故に惟だ旦晝の牿食して、然る後に夜氣の清明有り。聖人は時として夜氣ならざる無し。是を以て胸中に故無くして自ら見はるる光景無し。
-
『呻吟語』外篇・廣喻・鑒は自ら照らす能はず鑒は自ら照らす能はず、尺は自ら度る能はず、權は自ら稱る能はず。物に圍まるればなり。聖人は則ち自ら照らし、自ら度り、自ら稱り、其の鑒為り、尺為り、權為るを成して、而る後に能く天下を妍媸長短し、輕重す。