呻吟語 / 外篇・廣喻・未發の中
心體不虛,而應物亦然。故禪家嘗教人空諸有,而吾儒惟有喜怒哀樂未發之中,故有發而中節之和。
新字:心体不虚,而応物亦然。故禅家嘗教人空諸有,而吾儒惟有喜怒哀楽未発之中,故有発而中節之和。
書き下し
心體虛ならずんば、物に應ずるも亦た然り。故に禪家は嘗て人に諸有を空しくするを教ふ。而して吾が儒は惟だ喜怒哀樂未だ發せざるの中有り。故に發して節に中たるの和有り。
現代語訳
心の本体が虚でなければ、物に応じるのも同じことになります。だから禅家はいつも人に有るものを空しくすることを教えます。しかし我らの儒には、喜怒哀楽がまだ発しない中があります。だから発して節に当たる和があります。
解説
前の段の鏡を、心に当てはめます。心が虚でなければ、応対も歪みます。そこで禅の空を挙げ、自派の中と対比します。空は有るものを無くすことですが、中は発する前の状態です。だから発したときに節に当たる和が生じます。無くすのではなく整えるという違いが、二派の対比で示された一段になっています。無くすのではなく整える、という違いが要点です。
この章句が説くこと
心体虚禅の空未発の中和
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