呻吟語 / 外篇・廣喻・差は人の面に在らず
鏡空而無我相,故照物不爽分毫。若有一絲痕,照人面上便有一絲;若有一點瘢,照人面上便有一點,差不在人面也。
新字:鏡空而無我相,故照物不爽分毫。若有一糸痕,照人面上便有一糸;若有一点瘢,照人面上便有一点,差不在人面也。
書き下し
鏡は空にして我相無し。故に物を照らして分毫爽はず。若し一絲の痕有らば、人の面上を照らせば便ち一絲有り。若し一點の瘢有らば、人の面上を照らせば便ち一點有り。差は人の面に在らざるなり。
現代語訳
鏡は空で自分の相がありません。だから物を照らして毛ほども狂いません。もし一筋の傷があれば、人の顔を照らすとそこに一筋が現れます。もし一点の染みがあれば、人の顔を照らすとそこに一点が現れます。狂いは人の顔にあるのではありません。
解説
鏡の傷が、映る顔の傷として現れることを示します。狂いの元は映される側ではなく、鏡の側です。自分に傷や染みがあれば、人を見るたびにそれが見えるわけです。前に出てきた、人の情を薄いほうへ読むのは自分が小人だからだという段と同じ主張が、光学の観察として示された一段になっています。自分に傷があれば、人を見るたびそれが見えます。光学の観察として示された、鋭い一段です。
この章句が説くこと
鏡傷投影狂い自分
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