呻吟語 / 外篇・廣喻・鑒は自ら照らす能はず
鑒不能自照,尺不能自度,權不能自稱,圍於物也。聖人則自照、自度、自稱,成其為鑒、為尺、為權,而後能妍媸長短,輕重天下。
新字:鑒不能自照,尺不能自度,権不能自称,囲於物也。聖人則自照、自度、自称,成其為鑒、為尺、為権,而後能妍媸長短,軽重天下。
書き下し
鑒は自ら照らす能はず、尺は自ら度る能はず、權は自ら稱る能はず。物に圍まるればなり。聖人は則ち自ら照らし、自ら度り、自ら稱り、其の鑒為り、尺為り、權為るを成して、而る後に能く天下を妍媸長短し、輕重す。
現代語訳
鏡は自分を照らせず、物差しは自分を測れず、秤は自分を量れません。物に囲まれているからです。聖人は自分を照らし、自分を測り、自分を量り、鏡であり物差しであり秤であることを成し遂げて、その後に天下の美醜と長短を判じ、軽重を量れます。
解説
測る道具が自分を測れないことを、まず示します。鏡も物差しも秤も同じです。そして聖人は自分に対してそれができるとされます。自分を照らし測り量ることで、初めて道具として成り立つわけです。他人を判じる前に自分を判じるという順序が、道具の比喩で示された一段になっています。他人を判じる前に、自分を判じるという順序です。道具の比喩で、順番がはっきり示されています。
この章句が説くこと
鏡尺権自照順序
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