呻吟語 / 内篇・存心・鏡は物の聖人なり
聖人懸虛明以待天下之感,不先意以感天下之事。其感也,以我胸中道理順應之;其無感也,此心空空洞洞,寂然曠然。譬之鑑,光明在此,物來則照之,物去則光明自在。彼事未來而意必,是持鑑覓物也。嘗謂鏡是物之聖人,鏡日照萬物而常明,無心而不勞故也。聖人日應萬事而不累,有心而不役故也。夫惟為物役而後累心,而後應有偏著。
新字:聖人懸虚明以待天下之感,不先意以感天下之事。其感也,以我胸中道理順応之;其無感也,此心空空洞洞,寂然曠然。譬之鑑,光明在此,物来則照之,物去則光明自在。彼事未来而意必,是持鑑覓物也。嘗謂鏡是物之聖人,鏡日照万物而常明,無心而不労故也。聖人日応万事而不累,有心而不役故也。夫惟為物役而後累心,而後応有偏著。
書き下し
聖人は虛明を懸けて以て天下の感を待ち、意を先にして以て天下の事に感ぜず。其の感ずるや、我が胸中の道理を以て之に順應す。其の感ずる無きや、此の心空空洞洞、寂然曠然たり。之を鑑に譬ふ。光明此に在り、物來たれば則ち之を照らし、物去れば則ち光明自ら在り。彼れ事未だ來たらずして意必するは、是れ鑑を持して物を覓むるなり。嘗て謂ふ、鏡は物の聖人なりと。鏡は日〻萬物を照らして常に明らかなるは、心無くして勞せざるが故なり。聖人は日〻萬事に應じて累はされざるは、心有りて役せられざるが故なり。夫れ惟だ物に役せられて而る後に心を累はし、而る後に應ずるに偏著有り。
現代語訳
聖人は虚で明るいものを掲げて天下の感じを待ち、先回りの思いで天下の事に感じることをしません。感じるときは、自分の胸の中の道理でそれに順って応じます。感じるものがないときは、この心は空々として寂かで広々としています。これを鏡にたとえましょう。光はここにあり、物が来れば照らし、物が去れば光はそのままここにあります。事がまだ来ないうちに思い込み決めつけるのは、鏡を持って物を探しに行くようなものです。かつて言いました。鏡は物の聖人である、と。鏡が日々万物を照らして常に明るいのは、心が無く疲れないからです。聖人が日々万事に応じて煩わされないのは、心が有りながらそれに使われないからです。物に使われてはじめて心が煩い、はじめて応じ方に偏りが生まれます。
解説

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