呻吟語 / 内篇・談道・君子は友無かる可からず
終身不照鏡,終身不認得自家。乍照鏡,猶疑我是別人,常磨常照,才認得本來面目。故君子不可以無友。
新字:終身不照鏡,終身不認得自家。乍照鏡,猶疑我是別人,常磨常照,才認得本来面目。故君子不可以無友。
書き下し
終身鏡を照らさざれば、終身自家を認め得ず。乍ち鏡を照らせば、猶ほ我は是れ別人かと疑ふ。常に磨き常に照らして、才かに本來の面目を認め得。故に君子は友無かる可からず。
現代語訳
一生鏡を見なければ、一生自分が分かりません。久しぶりに鏡を見れば、これは別人ではないかと疑います。いつも磨き、いつも照らして、ようやく本来の顔が分かります。だから君子には友がいなければなりません。
解説
友を鏡にたとえた話は多くありますが、ここでは磨くという手間が加わります。鏡は放っておけば曇るので、常に磨き、常に照らす。友との付き合いも同じで、間が空けば互いに映らなくなるということです。久しぶりに見れば別人かと疑うという一句が可笑しくもあり、痛くもある。自分を知る手立ては自分の内側にはない、という結論が効いています。
この章句が説くこと
友鏡自己曇り交わり
関連する章句
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