呻吟語 / 内篇・修身・鏡は明なるも目に明ならず
明鏡雖足以照秋毫之末,然持以照面不照手者何?面不自見,借鏡以見,若手則吾自見之矣。鏡雖明,不明於目也,故君子貴自知自信。以人言為進止,是照手之識也。若耳目識見所不及,則匪天下之見聞不濟矣。
新字:明鏡雖足以照秋毫之末,然持以照面不照手者何?面不自見,借鏡以見,若手則吾自見之矣。鏡雖明,不明於目也,故君子貴自知自信。以人言為進止,是照手之識也。若耳目識見所不及,則匪天下之見聞不済矣。
書き下し
明鏡は秋毫の末を照らすに足ると雖も、然れども持ちて面を照らして手を照らさざるは何ぞや。面は自ら見えず、鏡を借りて見る。手の若きは則ち吾自ら之を見ればなり。鏡は明なりと雖も、目に明ならず。故に君子は自ら知り自ら信ずるを貴ぶ。人の言を以て進止と為すは、是れ手を照らすの識なり。
現代語訳
よく磨かれた鏡は秋の毛の先まで映せますが、それでも顔を映して手を映さないのはなぜでしょうか。顔は自分では見えないので鏡を借りて見ますが、手なら自分で見えるからです。鏡は明るくても、目より明るいわけではありません。だから君子は自分で知り自分で信じることを貴びます。人の言葉で進退を決めるのは、手を鏡に映す類の見識です。
解説
鏡を使う場面を細かく見ることで、人の意見をどこまで頼るかを示します。自分で見えない所だけ鏡を借りればよく、見える所まで鏡に頼るのは無駄です。前の段に、君子には友という鏡が必要だとありましたが、ここではその使い方に限度を付けています。何もかも人に聞くのは、手を鏡に映すのと同じだという比喩が鮮やかです。
この章句が説くこと
鏡自知他者助言限度
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