呻吟語 / 外篇・廣喻・蒼松古柏と夭桃穠李
蒼松古柏與夭桃穠李爭妍,重較鸞鑣與衝車獵馬爭步,豈宜不能?亦可醜矣。
新字:蒼松古柏与夭桃穠李争妍,重較鸞鑣与衝車猟馬争歩,豈宜不能?亦可醜矣。
書き下し
蒼松古柏の夭桃穠李と妍を爭ひ、重較鸞鑣の衝車獵馬と步を爭ふは、豈に宜しく能はざらんや。亦た醜しとす可きなり。
現代語訳
青い松や古い柏が、若い桃や濃い李と美しさを競い、飾りのある車や鈴を付けた馬が、突撃車や狩りの馬と足の速さを競うのは、できないわけではありません。しかし見苦しいことです。
解説
格の違うものが同じ土俵で競う様子を、二つ挙げます。松と柏が桃李と美しさを競い、儀礼の車が戦車と速さを競う。どちらもできなくはありませんが、見苦しい。自分の持ち場にある価値を捨てて、他人の物差しで勝とうとする姿です。できるかどうかではなく、ふさわしいかどうかで判じられています。できるかどうかではなく、ふさわしいかで判じます。自分の持ち場の価値を捨てた姿が、描かれています。
この章句が説くこと
松柏桃李土俵物差し見苦しい
関連する章句
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・子罕篇子曰く、歳寒くして、然る後に松柏の後れて凋むを知るなり。
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呂氏春秋・愼人④孔子、陳・蔡の間に窮して、七日食を嘗めず、藜羹糝せず。宰予備れり。孔子、室に弦歌す、顏回菜を外に擇ぶに、子路と子貢と相與にして言いて曰く、「夫子、魯に逐われ、迹を衛に削られ、樹を宋に伐られ、陳・蔡に窮す。夫子を殺す者は罪無く、夫子を籍むる者は禁ぜられず。夫子、弦歌鼓舞し、未だ嘗て音を絶たず。蓋し君子の醜づる所無きこと、此くの若きか。」顏回以て對うる無く、入りて以て孔子に告ぐ。孔子憱然として琴を推し、喟然として歎じて曰く、「由と賜とは、小人なり。召せ、吾之に語らん。」子路と子貢と入る。子貢曰く、「此くの如きは窮すと謂う可し。」孔子曰く、「是れ何の言ぞや。君子道に達するを之れ達と謂い、道に窮するを之れ窮と謂う。今、丘や仁義の道を抱き、以て亂世の患いに遭う。其の所や、何ぞ窮すと之れ謂わん。故に內に省みて道に疚しからず、難に臨みて其の德を失わず。大寒既に至り、霜雪既に降る。吾是を以て松柏の茂るを知るなり。昔、桓公は之を莒に得、文公は之を曹に得、越王は之を會稽に得たり。陳・蔡の阨は、丘に於いて其れ幸いなるか。」孔子烈然として瑟を返して弦す。子路抗然として干を執りて舞う。子貢曰く、「吾、天の高きを知らざるなり、地の下きを知らざるなり。」古の道を得たる者は、窮するも亦た樂しみ、達するも亦た樂しむ。樂しむ所は窮達に非ざるなり。道此に得れば、則ち窮達一なり、寒暑風雨の序為り。故に許由は潁陽に虞しみ、而して共伯は共首に得たり。
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