論語 / 子罕篇
子曰:「可與共學,未可與適道;可與適道,未可與立;可與立,未可與權。」
新字:子曰:「可与共学,未可与適道;可与適道,未可与立;可与立,未可与権。」
書き下し
子曰く、与に共に学ぶ可きも、未だ与に道に適く可からず。与に道に適く可きも、未だ与に立つ可からず。与に立つ可きも、未だ与に権る可からず。
現代語訳
先生がおっしゃった。「一緒に学ぶことができても、一緒に道へ進めるとは限らない。一緒に道へ進めても、一緒に確固として立てるとは限らない。一緒に立てても、一緒に軽重をはかって判断できるとは限らない。」
解説
四つの段階が示されている。共に学ぶ、共に道へ進む、共に立つ、共に権る。後になるほど、共有できる相手は減っていく。最後の権とは、原則を状況に応じて按配することである。原則を守るより難しい。守るだけなら規則を覚えればよいが、いつ曲げるかの判断には、原則の意味の理解が要るからだ。この段階論は、事業の仲間を考えるときに実用的である。勉強会で意気投合する相手は多い。方向性を共有できる相手はそれより少ない。困難の中で立ち続けられる相手はさらに少ない。そして、原則をどこで曲げるかの判断まで委ねられる相手は、生涯に数人いればよいほうだ。段階が違う相手に、次の段階の役割を期待すると、双方が傷つく。
この章句が説くこと
段階同志権信頼見極め
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