呻吟語 / 外篇・廣喻・必ず自ら見るを待たば
背上有物,反顧千萬轉而不可見也,遂謂人言不可信,若必待自見,則無見時矣。
新字:背上有物,反顧千万転而不可見也,遂謂人言不可信,若必待自見,則無見時矣。
書き下し
背上に物有り、反顧すること千萬轉するも見る可からず。遂に人言信ず可からずと謂ふ。若し必ず自ら見るを待たば、則ち見る時無からん。
現代語訳
背中に物が付いていて、千回万回振り返っても見えません。そこで人の言うことは信じられないと言います。もし必ず自分で見るまで待つなら、見る時は永久に来ません。
解説
背中の物を、自分では見られないものの例として使います。何度振り返っても見えないので、人の言葉を疑うことになります。しかし自分で確かめるまで信じないなら、永久に確かめられません。自分で見えない領域があるという前提を認めなければ、人の指摘を受け取れないわけです。忠告の受け取り方を、身体の構造から説いた一段になっています。
この章句が説くこと
背中見えない人言確認忠告
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・應務・責善の六戒善を責むるは其の人の何如を看るを要す。其の人善を以て責む可くんば、又た當に自ら長を善くし失を救ふの道を盡くすべし。其の忌む所を指摘する無かれ、其の失する所を盡數する無かれ、人に對する無かれ、峭直なる無かれ、長言する無かれ、累言する無かれ。此の六戒を犯さば、忠告と雖も、善道に非ざるなり。其の聽かれざれば、我も亦た且つ過ち有り。何を以て人を責めん。
-
『呻吟語』内篇・修身・我を攻むるの益に感ず我が過ちを攻むる者は、未だ必ずしも皆な過ち無きの人ならざるなり。苟しくも過ち無きの人の我を攻むるを求めば、則ち終身過ちを聞くを得ざらん。我は當に其の我を攻むるの益に感ずるのみ。彼に過ち有るか過ち無きか、何ぞ計るに暇あらんや。
-
論語・子罕篇子曰く、法語の言は、能く従うこと無からんや。之を改むるを貴しと為す。巽与の言は、能く説ばざらんや。之を繹ぬるを貴しと為す。説びて繹ねず、従いて改めずんば、吾之を如何ともする末きのみ。
-
『学問のすゝめ』十四編・世話の字の義・朋友に屡すれば疎ぜらるる古人の教えに「朋友に屡すれば疎ぜらるる」とあり。そのわけは、「わが忠告をも用いざる朋友に向かいて余計なる深切を尽くし、その気前をも知らずして厚かましく意見をすれば、ついにはかえってあいそつかしとなりて、先の人に嫌われ、あるいは怨まれ、あるいは馬鹿にせられて、事実に益なきゆえ、大概に見計ろうてこちらから寄りつかぬようにすべし」との趣意なり。この趣意もすなわち指図の世話の行き届かぬところには保護の世話をなすべからずということなり。
-
論語・顔淵篇子貢、友を問う。子曰く、「忠告して善く之を道き、不可なれば則ち止む。自ら辱めらるること毋かれ。」
-
『呻吟語』内篇・應務・忠告して善く之を道く今子弟の父兄の責を受くるや、尚ほ堪へざる所有り。而るに況んや他人をや。孔子曰く、「忠告して善く之を道き、不可なれば則ち止む」と。此の語は交はりを全うするに止まらず、亦た以て氣を養ふ可し。