呻吟語 / 外篇・廣喻・著味は至味に非ず
著味非至味也,故玄酒為五味先;著色非至色也,故太素為五色主;著象非至象也,故無象為萬象母;著力非至力也,故大塊載萬物而不負;著情非至情也,故太清生萬物而不親;著心非至心也,故聖人應萬事而不有。
新字:著味非至味也,故玄酒為五味先;著色非至色也,故太素為五色主;著象非至象也,故無象為万象母;著力非至力也,故大塊載万物而不負;著情非至情也,故太清生万物而不親;著心非至心也,故聖人応万事而不有。
書き下し
味を著くるは至味に非ず。故に玄酒は五味の先と為る。色を著くるは至色に非ず。故に太素は五色の主と為る。象を著くるは至象に非ず。故に無象は萬象の母と為る。力を著くるは至力に非ず。故に大塊は萬物を載せて負はず。情を著くるは至情に非ず。故に太清は萬物を生じて親しまず。心を著くるは至心に非ず。故に聖人は萬事に應じて有せず。
現代語訳
味を付けるのは至った味ではありません。だから水が五味の先になります。色を付けるのは至った色ではありません。だから白が五色の主になります。形を付けるのは至った形ではありません。だから形の無いものが万象の母になります。力を入れるのは至った力ではありません。だから大地は万物を載せても背負いません。情を込めるのは至った情ではありません。だから大空は万物を生んでも親しみません。心を用いるのは至った心ではありません。だから聖人は万事に応じても所有しません。
解説
六つの領域で、同じ形を繰り返します。味、色、形、力、情、心。どれも付け加えたものは至っておらず、無いものが根源だとされます。水が五味の先、白が五色の主、形無きが万象の母。そして最後の三つで人の側に移ります。大地は載せても背負わず、大空は生んでも親しまず、聖人は応じても所有しない。無為の姿が六つ重ねて示されています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
玄酒太素無象無為根源
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