呻吟語 / 外篇・物理・妖は德に勝たず
彼鳴屋者,主人疑之矣,不知其鳴於野樹,主何人不祥也?至於犬人行、鼠人言、豕人立,真大異事,然不祥在物,無與於人。即使於人為凶,然亦不過感戾氣而呈兆,在物亦莫知所以然耳。蓋鬼神愛人,每示人以趨避之幾,人能恐懼修省,則可轉禍為福。如景公之退孛星,高宗之枯桑穀,妖不勝德,理氣必然。然則妖異之呈兆,即蓍龜之告繇,是吾師也,何深惡而痛去之哉?
新字:彼鳴屋者,主人疑之矣,不知其鳴於野樹,主何人不祥也?至於犬人行、鼠人言、豕人立,真大異事,然不祥在物,無与於人。即使於人為凶,然亦不過感戻気而呈兆,在物亦莫知所以然耳。蓋鬼神愛人,毎示人以趨避之幾,人能恐懼修省,則可転禍為福。如景公之退孛星,高宗之枯桑穀,妖不勝徳,理気必然。然則妖異之呈兆,即蓍亀之告繇,是吾師也,何深悪而痛去之哉?
書き下し
彼の屋に鳴く者は、主人之を疑ふ。知らず、其の野樹に鳴くは、何人の不祥を主るかを。犬の人のごとく行き、鼠の人のごとく言ひ、豕の人のごとく立つに至りては、真に大異の事なり。然れども不祥は物に在り、人に與る無し。即使ひ人に於て凶と為るも、然れども亦た戾氣に感じて兆を呈するに過ぎず。物に在りても亦た所以然を知る莫きのみ。蓋し鬼神は人を愛し、每に人に示すに趨避の幾を以てす。人能く恐懼修省せば、則ち禍を轉じて福と為す可し。景公の孛星を退け、高宗の桑穀を枯らすが如し。妖は德に勝たず、理氣必然なり。然らば則ち妖異の兆を呈するは、即ち蓍龜の繇を告ぐるなり。是れ吾が師なり。何ぞ深く惡みて痛く之を去らんや。
現代語訳
屋根で鳴くものを、主人は疑います。しかしそれが野の樹で鳴いたら、誰の不吉を司るのでしょうか。犬が人のように歩き、鼠が人のように話し、豚が人のように立つのは、本当に大きな異変です。しかし不吉さは物のほうにあって、人には関わりません。たとえ人に凶であっても、乱れた気に感じて兆しを見せているだけです。物のほうもなぜそうなのか知りません。鬼神は人を愛して、いつも人に向かうべきか避けるべきかの兆しを示します。人が恐れ慎み省みれば、禍を転じて福にできます。景公が彗星を退け、高宗が桑と穀の怪を枯らしたようにです。妖は徳に勝たない、これが理と気の必然です。とすれば妖異が兆しを見せるのは、筮竹と亀甲が卦を告げるのと同じです。これは我らの師です。どうして深く憎んで取り去るのでしょうか。
解説
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