呻吟語 / 外篇・天地・必然の事と曰ふは信ずる能はず
草木一衰不至遽茂,一茂不至遽衰;夫婦朋友失好不能遽合,合不至遽乖。天道物理人情自然如此是一定的,星隕地震,山崩雨血,火見河清此是偶然的。吉凶先見,。自非常理,故臣子以修德望君,不必以災異恐之。若因災而懼,困可修德。一有祥瑞使可謂德已足而罷修乎?乃若至德回天,災祥立應,桑穀枯,彗星退,冤獄釋而驟雨,忠心白而反風,亦間有之。但曰必然事,吾不能確確然信也。
新字:草木一衰不至遽茂,一茂不至遽衰;夫婦朋友失好不能遽合,合不至遽乖。天道物理人情自然如此是一定的,星隕地震,山崩雨血,火見河清此是偶然的。吉凶先見,。自非常理,故臣子以修徳望君,不必以災異恐之。若因災而懼,困可修徳。一有祥瑞使可謂徳已足而罷修乎?乃若至徳回天,災祥立応,桑穀枯,彗星退,冤獄釈而驟雨,忠心白而反風,亦間有之。但曰必然事,吾不能確確然信也。
書き下し
草木は一たび衰へて遽かに茂るに至らず、一たび茂りて遽かに衰ふるに至らず。夫婦朋友は好を失へば遽かに合ふ能はず、合へば遽かに乖くに至らず。天道物理人情自然に此の如きは是れ一定なり。星隕り地震ひ、山崩れ雨血ふり、火見はれ河清むは、此れは是れ偶然なり。吉凶先に見はるるは、自ら常理に非ず。故に臣子は德を修むるを以て君に望み、必ずしも災異を以て之を恐れしめず。若し災に因りて懼れば、固より德を修む可し。一たび祥瑞有らば使ち德已に足れりと謂ひて修むるを罷む可けんや。
現代語訳
草木は一度衰えればすぐには茂らず、一度茂ればすぐには衰えません。夫婦や友も、仲が壊れればすぐには戻らず、合えばすぐには背きません。天の道も物の理も人の情も、自然にこうなるのが定まりです。星が落ち地が震え、山が崩れ血の雨が降り、怪火が現れ河が澄むのは偶然です。吉凶が先に現れるのは、もとより常の理ではありません。だから臣下は徳を修めることを君に望み、災異で脅す必要はありません。もし災いによって恐れるなら、確かに徳を修めればよい。しかし一度めでたい兆しがあれば、徳はもう足りたとして修めるのをやめてよいのでしょうか。
解説

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