呻吟語 / 外篇・人情・心交り神契ふ
「有二三道義之友,數日別便相思,以為世俗之念,一別便生親厚之情,一別便疏。」余曰:「君此語甚有趣向,與淫朋狎友滋味迥然不同,但真味未深耳。孔、孟、顏、思,我輩平生何嘗一接?只今誦讀體認間如朝夕同堂對語,如家人父子相依,何者?心交神契,千載一時,萬里一身也。久之,彼我且無,孰離孰合,孰親孰疏哉?若相與而善念生,相違而欲心長,即旦暮一生,濟得甚事?」
新字:「有二三道義之友,数日別便相思,以為世俗之念,一別便生親厚之情,一別便疏。」余曰:「君此語甚有趣向,与淫朋狎友滋味迥然不同,但真味未深耳。孔、孟、顏、思,我輩平生何嘗一接?只今誦読体認間如朝夕同堂対語,如家人父子相依,何者?心交神契,千載一時,万里一身也。久之,彼我且無,孰離孰合,孰親孰疏哉?若相与而善念生,相違而欲心長,即旦暮一生,済得甚事?」
書き下し
「二三の道義の友有り、數日別るれば便ち相ひ思ふ。以為へらく世俗の念は、一別すれば便ち親厚の情を生じ、一別すれば便ち疏なりと」。余曰く、「君の此の語は甚だ趣向有り。淫朋狎友と滋味迥然として同じからず。但だ真味未だ深からざるのみ。孔・孟・顏・思は、我輩平生何ぞ嘗て一たび接せんや。只だ今誦讀體認する間、朝夕同堂に對語するが如く、家人父子相ひ依るが如し。何者ぞ。心交り神契ひ、千載一時、萬里一身なればなり。之を久しくせば、彼我且つ無し。孰か離れ孰か合ひ、孰か親しく孰か疏ならんや。若し相ひ與して善念生じ、相ひ違ひて欲心長ぜば、即ひ旦暮一生なるも、甚の事をか濟し得ん」と。
現代語訳
ある人が言いました。二三人の道義の友がいて、数日別れれば互いに思います。世俗の付き合いは、別れればかえって親しい情が生じ、また別れれば疎くなると思います。私は言いました。あなたのこの言葉には実に味わいがあります。乱れた仲間や馴れ合いの友とは味わいがまるで違います。ただ本当の味わいがまだ深くないだけです。孔子や孟子や顔回や子思に、我らが生涯で一度でも会ったことがあるでしょうか。今その書を誦し読み体で受け取るあいだ、朝夕同じ堂で向き合って語るようであり、家族の父子が寄り添うようです。なぜか。心が交わり神が契い、千年が一時、万里が一身だからです。長く続ければ、相手も自分も無くなります。誰が離れ誰が合い、誰が親しく誰が疎いでしょうか。もし一緒にいて善い思いが生じ、離れて欲の心が伸びるなら、朝も夕も生涯一緒にいても、何の事が成せるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
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『墨子』尚賢下子墨子言いて曰く、「天下の王公大人は皆な其の國家の富み、人民の衆く、刑法の治まるを欲す。然れども尚賢を以て政を為して其の國家百姓を治むるを識らず。王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失えるなり。若し茍くも王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失わば、則ち物を舉げて之に示す毋くんばある能わざらんや。今、若し一諸侯、此に有りて、國家に政を為すや、曰く、『凡そ我が國の能く射御する士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。射御する能わざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず能く射御する士は喜び、射御する能わざる士は懼れんと為す。我れ賞して因りて之を誘わん、曰く、『凡そ我が國の忠信の士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。忠信ならざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。」
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『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
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『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
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『墨子』尚同上子墨子言いて曰く、古者、民、始めて生じて未だ刑政有らざる時、盖し其の語、人ごとに義を異にす。是を以て一人なれば則ち一義、二人なれば則ち二義、十人なれば則ち十義。其の人、滋いよ衆ければ、其の義と謂う所の者も亦た滋いよ衆し。是を以て人は其の義を是として、以て人の義を非とす。故に交ごも相い非とし是とするなり。内なる者は父子兄弟、怨惡を作し、離散して相い和合する能わず。天下の百姓、皆な水火毒藥を以て相い虧害し、餘力有るに至るも以て相い勞う能わず。餘財を府列するも以て相い分かたず、良道を隠匿するも以て相い教えず。天下の亂るること、禽獸の若く然り。