呻吟語 / 外篇・人情・其の人情に拂る者は、乃ち人情に宜しき所以なり
聖人制禮本以體人情,非以拂之也。聖人之心非不因人情之所便而各順之,然順一時便一人,而後天下之大不順便者因之矣。故聖人不敢恤小便拂大順,徇一時弊萬世,其拂人情者,乃所以宜人情也。
新字:聖人制礼本以体人情,非以払之也。聖人之心非不因人情之所便而各順之,然順一時便一人,而後天下之大不順便者因之矣。故聖人不敢恤小便払大順,徇一時弊万世,其払人情者,乃所以宜人情也。
書き下し
聖人の禮を制するは本と以て人情を體するにして、以て之に拂るに非ざるなり。聖人の心は人情の便とする所に因りて各おの之に順はざるに非ず。然れども一時に順ひ一人に便ならば、而して後に天下の大いに順ひ便ならざる者之に因る。故に聖人は敢へて小便を恤みて大順に拂り、一時に徇ひて萬世を弊せず。其の人情に拂る者は、乃ち人情に宜しき所以なり。
現代語訳
聖人が礼を定めたのは、もともと人の情を我が身に置くためで、それに背くためではありません。聖人の心は、人の情が都合よいとするところに従わないわけではありません。しかし一時に従い一人に都合よくすれば、その後に天下の大いに従えず都合の悪いことがそこから生じます。だから聖人はあえて小さな都合を顧みて大きな順いに背いたり、一時に従って万世を損なったりしません。その人の情に背くのは、まさに人の情に合わせるためです。
解説
礼が人情に背くように見える理由を説明します。一人の都合に従えば、後で天下の都合が悪くなる。範囲と時間を広げて見れば、背いているのは小さいほうだけです。だから最後の一句が成り立ちます。人情に背くのは人情に合わせるためだ、と。目の前の相手と将来の全体、どちらを取るかという問題として整理された一段です。範囲と時間を広げて見るという構えが要点です。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
礼人情範囲一時万世
関連する章句
-
『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
-
『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
-
『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
-
『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
-
『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
-
『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。