呻吟語 / 外篇・人情・其の體面を養ふ
人到無所顧惜時,君父之尊不能使之嚴,鼎鑊之威不能使之懼,千言萬語不能使之喻,雖聖人亦無如之何也已。聖人知其然也,每養其體面,體其情私,而不使至於無所顧惜。
新字:人到無所顧惜時,君父之尊不能使之厳,鼎鑊之威不能使之懼,千言万語不能使之喻,雖聖人亦無如之何也已。聖人知其然也,毎養其体面,体其情私,而不使至於無所顧惜。
書き下し
人顧惜する所無き時に到らば、君父の尊も之をして嚴ならしむる能はず、鼎鑊の威も之をして懼れしむる能はず、千言萬語も之をして喻らしむる能はず。聖人と雖も亦た之を如何ともする無きのみ。聖人は其の然るを知るなり。每に其の體面を養ひ、其の情私を體して、之をして顧惜する所無きに至らしめず。
現代語訳
人が惜しむものが無くなったときは、君や父の尊さもその人を厳かにさせられず、釜茹での威もその人を畏れさせられず、千言万語もその人を悟らせられません。聖人でもどうしようもありません。聖人はそれを知っています。だからいつもその体面を養い、その私の情を我が身に置いて、惜しむものが無い状態に至らせません。
解説
惜しむものが無い人には、何も効かないと示します。尊さも刑の威も言葉も届きません。聖人でさえ手が無い、と。だから対処は事前になります。体面を養い、私の情を汲んで、そこに至らせない。追い詰めないこと自体が統治の技術だという構図で、前に出てきた、窮まった敵を追うなという段と同じ考え方です。追い詰めないこと自体が、統治の技術になります。
この章句が説くこと
顧惜無効事前体面追い詰めない
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