呻吟語 / 外篇・人情・惟だ智者のみ多きを憂ふ
人皆知少之為憂,而不知多之為憂也。惟智者憂多。
書き下し
人皆な少なきの憂ひ為るを知りて、多きの憂ひ為るを知らざるなり。惟だ智者のみ多きを憂ふ。
現代語訳
人はみな少ないことが憂いになると知っていて、多いことが憂いになるとは知りません。ただ智恵ある者だけが多いことを憂えます。
解説
憂いの向きを、一般と智者で分けます。誰でも足りないことは憂えますが、多すぎることを憂える人は稀です。財も権も人も、多ければ多いほど良いと思われがちだからです。前に出てきた、満ちた勢いは自分から減らせという段と同じ立場で、こちらは気づく人の少なさという角度から述べられています。財も権も人も、多いほど良いと思われがちだからです。気づく人の少なさが、この段の要点になっています。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
多少憂い智者過剰気づき
関連する章句
-
老子 第9章持ちて之を盈たすは、其の已るに如かず。揣(き)りてその鋭を為すは、長く保つ可からず。金玉満堂、之を能く守る者莫し。富貴して驕れば、自ら其の咎を遺す。功を成して身を退く、天の道なり。
-
『呻吟語』外篇・治道・天に四時有り、秋を去る能はず水は以て苗を潤す。水多ければ則ち苗腐る。膏は以て焰を助く。膏重ければ則ち焰滅す。治を為すに一に寬なるは、民の福に非ざるなり。故に善人百年にして始めて殺を去る可し。天に四時有り、秋を去る能はず。
-
『呻吟語』内篇・倫理・情愛義に過ぐるは、子孫の災なり雨澤の潤ひに過ぐるは、萬物の災なり。恩寵の禮に過ぐるは、臣妾の災なり。情愛の義に過ぐるは、子孫の災なり。
-
『墨子』辭過古の民、未だ飲食を為るを知らざる時、素食して分れ處る。故に聖人、作りて男に耕稼樹藝を誨えて、以て民の食を為らしむ。其の食を為るや、以て氣を増し虚を充たし、體を彊くし腹に適うに足るのみ。故に其の財を用うること節にして、其の自ら養うこと儉なれば、民富み國治まる。今は則ち然らず。厚く百姓に作斂して、以て美食・芻豢・蒸炙・魚鼈を為り、大國は百器を累ね、小國は十器を累ね、前は方丈にして、目は徧く視る能わず、手は徧く操る能わず、口は徧く味わう能わず。夏は則ち冰を設け、冬は則ち饐を飾る。人君の飲食を為すこと此くの如し。故に左右之に象る。是を以て富貴なる者は奢侈にして、孤寡なる者は凍餒す。亂無からんと欲するも、得可からざるなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に飲食を為すは節せざる可からず。
-
『呻吟語』内篇・修身・寬に過ぐれば人を殺す寬に過ぐれば人を殺し、美に過ぐれば身を殺す。是を以て君子は民情を縱にして以て之を全うせざるなり、己が欲を盈たして以て之を生かさざるなり。
-
『茶の本』第四章 茶室・装飾のために構造の美が犠牲にこれらの建物は十二世紀の間事実上そのまま保全せられていた。古い宮殿や寺の内部は、惜しげもなく装飾を施されていた。十世紀にできた宇治の鳳凰堂には、今もなお昔の壁画彫刻の遺物はもとより、丹精をこらした天蓋、金を蒔き鏡や真珠をちりばめた廟蓋を見ることができる。後になって、日光や京都二条の城においては、アラビア式またはムーア式華麗をつくした力作にも等しいような色彩の美や、精巧をきわめたたくさんの装飾のために、建築構造の美が犠牲にせられているのを見る。