呻吟語 / 外篇・人情・其の能はざる所を以て人を病ましむ
古之君子,不以其所能者病人;今人卻以其所不能者病人。
新字:古之君子,不以其所能者病人;今人却以其所不能者病人。
書き下し
古の君子は、其の能くする所を以て人を病ましめず。今人は卻つて其の能はざる所を以て人を病ましむ。
現代語訳
昔の君子は、自分ができることで人を苦しめませんでした。今の人はかえって、自分ができないことで人を苦しめます。
解説
人を責めるときの基準を、昔と今で比べます。昔は自分ができることでさえ人に求めませんでした。今は自分ができないことまで人に求めます。二重に離れているわけです。自分ができないことを要求できるのは、責める立場が保証されているからでしょう。短い対句ですが、責める資格の問題を鋭く突いています。責める資格の問題を、鋭く突いた対句です。二重に離れていることが、対比で見えてきます。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
責める基準自分資格二重
関連する章句
-
『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「子は三年の喪を以て非と為す。子の三日の喪も亦た非なり」と。子墨子曰く、「子は三年の喪を以て三日の喪を非とす。是れ猶お倮なる者の蹶く者を恭しからずと謂うがごときなり。
-
『墨子』節葬下故に古の聖王、制して葬埋の法を為りて曰く、「棺は三寸、以て體を朽ちしむるに足る。衣衾は三領、以て惡を覆うに足る。其の葬るに及びてや、下は泉に及ぶ毋く、上は臭を通ずる無く、壟は參耕の畝の若くんば、則ち止むのみ」と。死者、既に以て葬れば、生者、必ず久しく哭する無くして、疾やかにして事に從い、人、其の能くする所を為して、以て交ごも相い利す。此れ聖王の法なり。
-
『墨子』貴義子墨子曰く、凡そ言、凡そ動、天鬼百姓に利ある者は之を為し、凡そ言、凡そ動、天鬼百姓に害ある者は之を舍く。凡そ言、凡そ動、三代の聖王堯・舜・禹・湯・文・武に合う者は之を為し、凡そ言、凡そ動、三代の暴王桀・紂・幽・厲に合う者は之を舍く。
-
『呻吟語』内篇・修身・掌尺提秤底を要す度の長短に於けるや、權の輕重に於けるや、毫髮を爽たがへず。也た個の掌尺提秤底を要す。
-
『墨子』非命中子墨子言いて曰く、凡そ言談を出だし、文章に由りて之れ道を為すや、則ち先ず儀法を立てずんばある可からず。若し言いて儀無くんば、譬えば猶お朝夕を運鈞の上に立つるがごときなり。則ち巧工有りと雖も、必ず正を得る能わず。然れども今、天下の情偽、未だ得て識る可からざるなり。故に言をして三法有らしむ。三法とは何ぞや。之に本づくる者有り、之を原ぬる者有り、之を用うる者有り。其の之に本づくるや、之を天鬼の志、聖王の事に考う。其の之を原ぬるや、徵するに先王の書を以てす。之を用うるは奈何。發して刑と為す。此れ言の三法を言うなり。
-
『学問のすゝめ』十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・詰まるところは飼犬に手を噛まるるものあるいはまれに正直なる役人ありて賄賂の沙汰も聞こえざれば、前代未聞の名臣とて一藩中の評判なれども、その実はわずかに銭を盗まざるのみ。人に盗心なければとてさまで誉むべきことにあらず。ただ偽君子の群集するその中に十人並みの人が雑るゆえ、格別に目立つまでのことなり。畢竟この偽君子の多きもその本を尋ぬれば古人の妄想にて、世の人民をばみな結構人にして御しやすきものと思い込み、その弊ついに専制抑圧に至り、詰まるところは飼犬に手を噛まるるものなり。返す返すも世の中に頼みなきものは名分なり。毒を流すの大なるものは専制抑圧なり。恐るべきにあらずや。