呻吟語 / 外篇・人情・此の二人は皆な愚なり
愛人以德而令人仇,人以德愛我而仇之,此二人者皆愚也。
新字:愛人以徳而令人仇,人以徳愛我而仇之,此二人者皆愚也。
書き下し
人を愛するに德を以てして人をして仇とせしむ。人德を以て我を愛するに之を仇とす。此の二人は皆な愚なり。
現代語訳
徳をもって人を愛して、その人に仇と思わせる。人が徳をもって自分を愛してくれるのに、それを仇と思う。この二人はどちらも愚かです。
解説
徳による愛が仇に変わる場面を、両側から並べます。与える側は、正しさで愛したのに仇と思われる。受ける側は、正しさで愛されたのに仇と思う。どちらも愚かだとされます。与える側の愚かさが挙げられているのが要点で、正しければ通じるとは限りません。伝え方の問題が、受け手の器の問題と対等に置かれています。正しければ通じるとは限らない、ということです。
この章句が説くこと
徳愛仇両側伝え方
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