呻吟語 / 外篇・治道・公署の楹帖二
公署楹帖二:「皇天下鑒此心,敢不光明正直;赤子來游吾腹,願言豈弟慈祥。」
新字:公署楹帖二:「皇天下鑒此心,敢不光明正直;赤子来游吾腹,願言豈弟慈祥。」
書き下し
公署の楹帖二。「皇天此の心を下鑒す、敢へて光明正直ならざらんや。赤子吾が腹に來游す、願はくは言ふ豈弟慈祥ならんことを」。
現代語訳
役所の柱の対句その二。天がこの心を見下ろしている、どうして光り明るくまっすぐでないでいられよう。赤子が私の腹に遊びに来ている、願わくは和らぎ楽しみ慈しみ深くありたい。
解説
二つ目の対句です。上は天に見られている意識で、光明正直であるほかないと述べます。下は民を赤子として自分の腹に受け入れる姿で、和らぎ慈しむことを願います。上下の対比が効いていて、天に対しては厳しく、民に対しては和やかに。前に出てきた、豈弟の君子は民の父母だという段の語が、そのまま使われています。天に厳しく、民に和やかにという対比が効いています。
この章句が説くこと
楹帖天赤子光明豈弟
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・天と人と我吉凶禍福は是れ天の主張、毀譽予奪は是れ人の主張、立身行己は是れ我の主張なり。此の三つの者は、相奪はざるなり。
-
『呻吟語』内篇・問學・希天・達天・合天・為天希天の學有り、達天の學有り、合天の學有り、為天の學有り。
-
『墨子』尚同上天下の百姓、皆な天に上同するも、一にして天に上同せざれば、則ち菑、猶お未だ去らざるなり。今、若し天、飄風苦雨、湊湊として至る者は、此れ天の百姓の天に上同せざるを罰する所以の者なり。
-
『後世への最大遺物』第二回・一俵の米は百万の価値があったこうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにして、その一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして、二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に、天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだから、もしわれわれがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」という、こういう考えであります。
-
『墨子』尚同中夫れ既に天子に尚同するも、未だ天に尚同せざる者は、則ち天菑、將に猶お未だ止まざらんとするなり。故に若し天、寒熱を降すこと節ならず、霜雪雨露、時ならず、五榖熟せず六畜遂げず、疾菑戾疫、飄風苦雨、荐臻して至る者は、此れ天の罰を降すなり。將に以て下人の天に尚同せざるを罰せんとするなり。
-
『呻吟語』外篇・天地・故に太清と曰ふ天は積氣の成す所、吾が身より以上は皆な天なり。日月星辰は地を去ること八萬四千里、積氣の中に囿はる。纖隔微礙無く、地を徹して光明なる者は、天氣清きこと甚だしく分毫の渣滓無ければなり。故に太清と曰ふ。然らずんば、薄霧輕煙と雖も、一里の外に見えざるの物有らん。