呻吟語 / 外篇・治道・公署の楹帖二
公署楹帖二:「皇天下鑒此心,敢不光明正直;赤子來游吾腹,願言豈弟慈祥。」
新字:公署楹帖二:「皇天下鑒此心,敢不光明正直;赤子来游吾腹,願言豈弟慈祥。」
書き下し
公署の楹帖二。「皇天此の心を下鑒す、敢へて光明正直ならざらんや。赤子吾が腹に來游す、願はくは言ふ豈弟慈祥ならんことを」。
現代語訳
役所の柱の対句その二。天がこの心を見下ろしている、どうして光り明るくまっすぐでないでいられよう。赤子が私の腹に遊びに来ている、願わくは和らぎ楽しみ慈しみ深くありたい。
解説
二つ目の対句です。上は天に見られている意識で、光明正直であるほかないと述べます。下は民を赤子として自分の腹に受け入れる姿で、和らぎ慈しむことを願います。上下の対比が効いていて、天に対しては厳しく、民に対しては和やかに。前に出てきた、豈弟の君子は民の父母だという段の語が、そのまま使われています。天に厳しく、民に和やかにという対比が効いています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
楹帖天赤子光明豈弟
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