呻吟語 / 外篇・治道・柔を用ひて剛と為す
圖大於細,不勞力,不費財,不動聲色,暗收百倍之功。用柔為剛,愈涵容;愈愧屈,愈契腹心,化作兩人之美。
新字:図大於細,不労力,不費財,不動声色,暗収百倍之功。用柔為剛,愈涵容;愈愧屈,愈契腹心,化作両人之美。
書き下し
大を細に圖れば、力を勞せず、財を費やさず、聲色を動かさずして、暗かに百倍の功を收む。柔を用ひて剛と為せば、愈いよ涵容し、愈いよ愧屈し、愈いよ腹心に契ひ、化して兩人の美と作る。
現代語訳
大きなことを細かいうちに図れば、力を労せず、財を費やさず、声も色も動かさずに、密かに百倍の功を収めます。柔らかさを用いて剛とすれば、いっそう包み容れ、相手はいっそう恥じて屈し、いっそう腹の底で通じ合い、二人の美点に変わります。
解説
二つの手を並べます。大を細かいうちに図ることと、柔らかさを剛として使うこと。前者は力も財も声も使わずに百倍の功を得ます。後者は包み容れることで相手が恥じ、腹の底で通じ合う。そして結果が二人の美点になるとされます。勝ち負けではなく、双方が良くなる形で終わるのが要点になっています。勝ち負けではなく、双方が良くなる形で終わります。どちらも力を使わない手であることが共通しています。
この章句が説くこと
図細柔包容恥両者
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