呻吟語 / 外篇・治道・治人を以て治法を立つ
治人治法不可相無,聖人竭耳目力,此治人也。繼之以規矩準繩、六律五音,此治法也。說者猶曰有治人無治法。然則治人無矣,治法可盡廢乎?夫以藏在盟府之空言,猶足以伏六百年後之霸主,而況法乎?故治天下者以治人立治法,法無不善;留治法以待治人,法無不行。
新字:治人治法不可相無,聖人竭耳目力,此治人也。継之以規矩準縄、六律五音,此治法也。説者猶曰有治人無治法。然則治人無矣,治法可尽廃乎?夫以蔵在盟府之空言,猶足以伏六百年後之覇主,而況法乎?故治天下者以治人立治法,法無不善;留治法以待治人,法無不行。
書き下し
治人治法は相ひ無かる可からず。聖人は耳目の力を竭くす、此れ治人なり。之に繼ぐに規矩準繩、六律五音を以てす、此れ治法なり。說く者猶ほ曰く、治人有りて治法無しと。然らば則ち治人無くんば、治法は盡く廢す可けんや。夫れ盟府に藏する所の空言を以てすら、猶ほ以て六百年後の霸主を伏するに足る。而るに況んや法をや。故に天下を治むる者は治人を以て治法を立つれば、法善からざる無し。治法を留めて以て治人を待たば、法行はれざる無し。
現代語訳
治める人と治める法は、互いに欠かせません。聖人が耳目の力を尽くすのが治める人です。それに続けて規矩と準縄、六律と五音を用いるのが治める法です。論じる者はなお、治める人はあっても治める法は無いと言います。それなら治める人がいなければ、治める法もすべて廃せるのでしょうか。盟約の府に蔵された空文でさえ、六百年後の覇主を屈服させるに足りました。まして法ならなおさらです。だから天下を治める者が、治める人によって治める法を立てれば、法に善くないものはありません。治める法を残して治める人を待てば、法に行われないものはありません。
解説
人と法の両方が要ると主張します。孟子の、治める人はあっても治める法は無いという言葉に、正面から反論する形です。証拠として盟約の文書が挙げられます。空文でさえ六百年後の覇者を屈服させた。文書に力があるということです。そして順序が示されます。人が法を立て、法が次の人を待つ。二つが交代で働く仕組みになっています。
この章句が説くこと
治人治法両立盟府順序
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