呻吟語 / 外篇・治道・不敢は恃むに足らず
三代之後,治天下只求個不敢。不知其不敢者,皆苟文以應上也。真敢在心,暗則足以盅國家,明之足以亡社稷,乃知不敢不足恃也。
新字:三代之後,治天下只求個不敢。不知其不敢者,皆苟文以応上也。真敢在心,暗則足以盅国家,明之足以亡社稷,乃知不敢不足恃也。
書き下し
三代の後、天下を治むるは只だ個の不敢を求む。知らず、其の敢へてせざる者は、皆な苟文もて以て上に應ずるなり。真の敢は心に在り。暗ければ則ち以て國家を盅するに足り、明らかなれば則ち以て社稷を亡ぼすに足る。乃ち知る、不敢は恃むに足らざるなり。
現代語訳
三代の後、天下を治めるのはただ敢えてしないことを求めるだけです。しかし敢えてしない者は、みな間に合わせの文書で上に応えているだけです。本当の敢えては心にあります。隠れていれば国家を毒するに足り、明らかになれば社稷を亡ぼすに足ります。そこで分かります。敢えてしないことは頼りにならないのです。
解説
表向きの従順を、頼りにならないと言い切ります。敢えてしないのは、間に合わせの文書で応えているだけだからです。本当の敢えては心にあり、隠れていれば毒し、表に出れば亡ぼす。つまり見えないほうが危ないということです。前に出てきた、怒りを抱えて法を畏れ隙を待つ民という段と同じ構図が、統治の目標として批判されています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
不敢表向き心毒隙
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