呻吟語 / 外篇・治道・真正の題目を尋ね著けず
今天下一切人、一切事,都是苟且做,尋不著真正題目。便認了題目,嘗不著真正滋味。欲望三代之治甚難。
書き下し
今天下の一切の人、一切の事は、都て是れ苟且に做し、真正の題目を尋ね著けず。便ち題目を認め了はるも、真正の滋味を嘗め著けず。三代の治を望まんと欲するも甚だ難し。
現代語訳
今の天下の人も事も、すべて間に合わせでやっていて、本当の題目を探し当てられません。題目を見定めたとしても、本当の味わいを味わえません。三代の治を望もうとしても大変難しい。
解説
間に合わせを、二段の失敗として描きます。まず本当の題目に行き当たらない。行き当たっても、本当の味わいには届かない。問いを立てる段と、それを深める段の両方で止まっているわけです。前の段の、本当の味を噛まないという表現がここでも使われており、間に合わせの正体が味わいの欠如として捉えられています。間に合わせの正体を、味わいの欠如として捉えています。
この章句が説くこと
苟且題目味わい二段深さ
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