呻吟語 / 内篇・存心・自家の好き處は幾分を掩藏す
自家好處掩藏幾分,這是涵蓄以養深;別人不好處要掩藏幾分,這是渾厚以養大。
新字:自家好処掩蔵幾分,這是涵蓄以養深;別人不好処要掩蔵幾分,這是渾厚以養大。
書き下し
自家の好き處は幾分を掩藏す、這れ是れ涵蓄して以て深きを養ふなり。別人の好からざる處は幾分を掩藏せんことを要す、這れ是れ渾厚にして以て大なるを養ふなり。
現代語訳
自分の良いところは、いくらか隠しておく。これが含み蓄えて深さを養うということです。他人の良くないところは、いくらか隠しておくようにする。これが厚みをもって大きさを養うということです。
解説
隠すという同じ動作が、二つの方向で使い分けられます。自分の長所を隠すと深くなり、他人の短所を隠すと大きくなる。どちらも見せないという点で同じなのに、育つものが違うのが面白いところです。謙遜と寛容が、隠すという一つの動作から説明されます。逆に言えば、自分の良さを見せ他人の悪さを言う人は、浅くも小さくもなるということになります。
この章句が説くこと
掩蔵謙遜寛容深さ大きさ
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