呻吟語 / 外篇・治道・人をして心服せしむ
在上者無過,在下者多過。非在上者之無過,有過而人莫敢言。在下者非多過,誣之而人莫敢辯。夫惟使人無心言,然後為上者真無過;使人心服,而後為下者真多過也。
新字:在上者無過,在下者多過。非在上者之無過,有過而人莫敢言。在下者非多過,誣之而人莫敢弁。夫惟使人無心言,然後為上者真無過;使人心服,而後為下者真多過也。
書き下し
上に在る者は過ち無く、下に在る者は過ち多し。上に在る者の過ち無きに非ず、過ち有りて人敢へて言ふ莫きなり。下に在る者は過ち多きに非ず、之を誣ひて人敢へて辯ずる莫きなり。夫れ惟だ人をして言ふに心無からしめて、然る後に上たる者は真に過ち無し。人をして心服せしめて、而る後に下たる者は真に過ち多きなり。
現代語訳
上にいる者は過ちが無く、下にいる者は過ちが多い。上にいる者に過ちが無いのではなく、過ちがあっても誰も言えないのです。下にいる者に過ちが多いのではなく、言いがかりをつけられても誰も弁解できないのです。人が言うべきことを心に持たなくなって初めて、上にいる者は本当に過ちが無い。人が心から服して初めて、下にいる者は本当に過ちが多いのです。
解説
過ちの多寡が、実態ではなく発言の自由で決まると示します。上に過ちが無いのは言えないからで、下に過ちが多いのは弁解できないからです。そして本当の判定条件が置かれます。言うべきことが誰の心にも無いとき、上は本当に過ちが無い。相手が心服したとき、下は本当に過ちが多い。記録された数字を、そのまま信じるなという指摘です。
この章句が説くこと
過ち発言弁解実態判定
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・怨む者の指摘を得、愛する者の掩護する能はず平生の為す所、怨む我が者をして以て指摘するを得しめ、愛する我が者をして掩護する能はざらしむ。此れ身を省みるの大懼なり。士君子之を慎め。故に我に過ち無くして謗語滔天たるも諒とするに足らず、談笑して之を受く可し。我に過ち有りて幸ひに聞くに及ばずんば、當に寢ぬるに席に貼かず、食らふに咽を下らざるべし。
-
論語・述而篇陳の司敗問う、「昭公は礼を知れるか。」孔子対えて曰く、「礼を知れり。」孔子退く。巫馬期に揖して之を進めて曰く、「吾聞く、君子は党せずと。君子も亦た党するか。君、呉に取りて同姓と為す。之を呉孟子と謂う。君にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん。」巫馬期以て告ぐ。子曰く、「丘や幸いなり。苟くも過ち有れば、人必ず之を知る。」
-
論語・子張篇子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや、人皆之を見る。更むるや、人皆之を仰ぐ。
-
『呻吟語』内篇・修身・一たび認むれば兩過都て無し過ち有るは是れ一過なり、過ちを認むるを肯んぜざるは又た是れ一過なり。一たび認むれば則ち兩過都て無く、一たび認めざれば則ち兩過免れず。彼の強辯して以て非を飾る者は、果たして何為るぞや。
-
尉繚子・兵教下太上は過ち無く、其の次は過ちを補う。
-
『呻吟語』内篇・修身・清水の魚の如し余は日日過ち有り。然れども自ら信ず、過ちの吾が心に發するは、清水の魚の如く、才かに發せば即ち見え、小しく發せば即ち覺ゆ。所以に卒に其の豪悍を遂げて流浪して收拾す可からざるに至るを得ざるなり。胸中の是非は、原と先に以て之を照らす有ればなり。所以に常に發するは何ぞや。只だ是れ心存せず、養ひ定まらざればなり。