呻吟語 / 外篇・治道・三千三百
三千三百,聖人靡文是尚而勞苦是甘也。人心無所存屬則惡念潛伏,人身有所便安則惡行滋長。禮之繁文使人心有所用而不得他適也,使人觀文得情而習於善也,使人勞其筋骨手足而不偷慢以養其淫也,使彼此相親相敬而不傷好以起爭也,是範身聯世、制欲已亂之大防也。故曠達者槳於簡便,一決而潰之則大亂起。後世之所謂禮者則異是矣,先王情文廢無一在而乃習容止,多揖拜,寀顏色,柔聲氣,工頌諛,艷交游,密附耳躡足之語,極籩豆筐之費,工書刺候問之文,君子所以深疾之,欲一洗而入於崇真尚簡之歸,是救俗之大要也。雖然,不講求先王之禮而一入於放達,樂有簡便,久而不流於西晉者幾希。
新字:三千三百,聖人靡文是尚而労苦是甘也。人心無所存属則悪念潜伏,人身有所便安則悪行滋長。礼之繁文使人心有所用而不得他適也,使人観文得情而習於善也,使人労其筋骨手足而不偸慢以養其淫也,使彼此相親相敬而不傷好以起争也,是範身聯世、制欲已乱之大防也。故曠達者槳於簡便,一決而潰之則大乱起。後世之所謂礼者則異是矣,先王情文廃無一在而乃習容止,多揖拝,寀顔色,柔声気,工頌諛,艶交游,密附耳躡足之語,極籩豆筐之費,工書刺候問之文,君子所以深疾之,欲一洗而入於崇真尚簡之帰,是救俗之大要也。雖然,不講求先王之礼而一入於放達,楽有簡便,久而不流於西晋者幾希。
書き下し
三千三百は、聖人の靡文是れ尚び勞苦是れ甘しとするなり。人心に存屬する所無くんば則ち惡念潛伏し、人身に便安する所有らば則ち惡行滋長す。禮の繁文は人心をして用ふる所有りて他に適くを得ざらしめ、人をして文を觀て情を得て善に習はしめ、人をして其の筋骨手足を勞して偷慢して以て其の淫を養はざらしめ、彼此をして相ひ親しみ相ひ敬みて好みを傷り以て爭ひを起こさざらしむ。是れ身を範し世を聯ね、欲を制し亂を已むるの大防なり。故に曠達なる者は簡便に槳し、一たび決して之を潰さば則ち大亂起こる。後世の所謂禮なる者は則ち是れに異なり。先王の情文廢れて一も在る無くして、乃ち容止を習ひ、揖拜を多くし、顏色を寀らかにし、聲氣を柔らかにし、頌諛を工にし、交游を艷にし、附耳躡足の語を密にし、籩豆筐の費を極め、書刺候問の文を工にす。君子の深く之を疾み、一洗して崇真尚簡の歸に入らんと欲する所以なり。是れ俗を救ふの大要なり。然りと雖も、先王の禮を講求せずして一に放達に入り、簡便に樂しめば、久しくして西晉に流れざる者幾ど希なり。
現代語訳
三千三百の儀礼は、聖人が華美な文を尊び労苦を甘しとしたのではありません。人の心に心を留めるところが無ければ悪い思いが潜み、人の身に安楽なところがあれば悪い行いが育ちます。礼の繁雑な文は、人の心に用いるところを与えて他へ行かせず、文を見て情を得て善に慣れさせ、筋骨と手足を労させて怠けて淫を養わせず、互いに親しみ敬んで好みを損なって争いを起こさせないためです。これは身を型どり世を繋ぎ、欲を制し乱を止める大きな堤です。だから何にも囚われない者は簡便を好み、ひとたび決壊させれば大乱が起こります。後の世のいわゆる礼はこれと違います。先王の情と文が廃れて一つも無く、ただ立ち居を習い、挨拶を多くし、顔色を整え、声を柔らかにし、追従を巧みにし、交際を華やかにし、耳打ちや足を踏む合図を密にし、供え物の費えを極め、書状や見舞いの文を巧みにします。君子が深くこれを憎み、一洗して真を尊び簡素を尚ぶところへ戻したいと思う理由です。これが風俗を救う大要です。とはいえ、先王の礼を調べずにひたすら放埒に入り簡便を楽しめば、長く続けば西晋のようにならない者はほとんどいません。
解説

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