呻吟語 / 外篇・治道・雷霆霜雪も天何ぞ嘗て申・韓ならざらんや
申、韓亦王道之,聖人何嘗廢刑名不綜核?四凶之誅,舜之申、韓也;少正卯之誅,侏儒之斬,三都之墮,孔子之申、韓也。即雷霆霜雪,天亦何嘗不申、韓哉?故慈父梃詬,愛肉有針石。
新字:申、韓亦王道之,聖人何嘗廃刑名不綜核?四凶之誅,舜之申、韓也;少正卯之誅,侏儒之斬,三都之堕,孔子之申、韓也。即雷霆霜雪,天亦何嘗不申、韓哉?故慈父梃詬,愛肉有針石。
書き下し
申・韓も亦た王道のみ。聖人何ぞ嘗て刑名を廢して綜核せざらんや。四凶の誅は、舜の申・韓なり。少正卯の誅、侏儒の斬、三都の墮は、孔子の申・韓なり。即ち雷霆霜雪も、天何ぞ嘗て申・韓ならざらんや。故に慈父も梃詬し、愛肉も針石有り。
現代語訳
申不害と韓非もまた王道です。聖人がどうして刑名を廃して照合しないことがあったでしょうか。四凶の誅は舜の申韓です。少正卯の誅、侏儒の斬、三都の破却は孔子の申韓です。雷や霜や雪も、天がどうして申韓でないことがあるでしょうか。だから慈しみ深い父も棒で打ち罵り、愛しい肉にも針と石を当てます。
解説
法家を、王道の外に置きません。聖人も刑名と照合を使っていたからです。証拠として舜の四凶と、孔子の三つの処断が挙げられます。孔子まで含めるのが大胆なところです。そして天の雷霜雪も同じだとされ、最後に身近な例が置かれます。慈父も棒で打ち、愛しい体にも針を刺す。厳しさを愛の外に置かない構えが一貫しています。
この章句が説くこと
申韓王道四凶孔子慈父
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