呻吟語 / 外篇・聖賢・道を以て法度と為す
君子立身行已自有法度,此有道之言也。但法度自堯、舜、禹、湯、文、武、周、孔以來只有一個,譬如律令一般,天下古今所共守者。若家自為律,人自為令,則為伯夷、伊尹、柳下惠之法度。故以道為法度者,時中之聖;以氣質為法度者,一偏之聖。
新字:君子立身行已自有法度,此有道之言也。但法度自堯、舜、禹、湯、文、武、周、孔以来只有一個,譬如律令一般,天下古今所共守者。若家自為律,人自為令,則為伯夷、伊尹、柳下恵之法度。故以道為法度者,時中之聖;以気質為法度者,一偏之聖。
書き下し
君子の身を立て己を行ふに自ら法度有りとは、此れ有道の言なり。但だ法度は堯・舜・禹・湯・文・武・周・孔以來只だ一個有るのみ。譬へば律令の一般、天下古今の共に守る所の者なり。若し家ごとに自ら律を為し、人ごとに自ら令を為さば、則ち伯夷・伊尹・柳下惠の法度と為る。故に道を以て法度と為す者は、時中の聖なり。氣質を以て法度と為す者は、一偏の聖なり。
現代語訳
君子が身を立て自分を行うのに、おのずと法度があるというのは、道を得た言葉です。ただし法度は堯舜禹湯文王武王周公孔子以来、一つしかありません。法令と同じで、天下古今が共に守るものです。もし家ごとに自分の法を作り、人ごとに自分の令を作れば、それは伯夷や伊尹や柳下恵の法度になります。だから道を法度とする者は時にかなった聖人であり、気質を法度とする者は偏った聖人です。
解説
自分の法度を持つことを認めたうえで、法度は一つしかないと釘を刺します。各自が自分の流儀を法にすれば、一偏の聖人止まりになる。道を基準にするか、自分の気質を基準にするかで分かれます。個性を法度と取り違えるなという指摘で、自分らしさを掲げる態度への静かな批判にもなっています。自分らしさを掲げる態度への、静かな批判にもなっています。
この章句が説くこと
法度道気質共通個性
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