呻吟語 / 外篇・治道・匹馬單車も鈞天の樂を聽くが如し
大纛高牙,鳴金奏管,飛旌卷蓋,清道唱騶,輿中之人志驕意得矣。蒼生之疾苦幾何?職業之修廢幾何?使無愧於心焉,即匹馬單車,如聽鈞天之樂。不然是益厚吾過也。婦人孺子豈不驚炫,恐有道者笑之。故君子之車服儀從足以辨等威而已,所汲汲者固自有在也。
新字:大纛高牙,鳴金奏管,飛旌巻蓋,清道唱騶,輿中之人志驕意得矣。蒼生之疾苦幾何?職業之修廃幾何?使無愧於心焉,即匹馬単車,如聴鈞天之楽。不然是益厚吾過也。婦人孺子豈不驚炫,恐有道者笑之。故君子之車服儀従足以弁等威而已,所汲汲者固自有在也。
書き下し
大纛高牙、鳴金奏管、飛旌卷蓋、清道唱騶あらば、輿中の人は志驕り意得たり。蒼生の疾苦は幾何ぞ。職業の修廢は幾何ぞ。心に愧づる無からしめば、即ち匹馬單車も、鈞天の樂を聽くが如し。然らずんば是れ益ます吾が過ちを厚くするなり。婦人孺子は豈に驚炫せざらんや。恐らくは有道者之を笑はん。故に君子の車服儀從は等威を辨ずるに足るのみ。汲汲とする所は固より自ら在る有り。
現代語訳
大きな旗と高い牙旗、鳴る鉦と奏でる管、翻る旌と巻いた蓋、道を清め先払いを呼ばわる。輿の中の人は志が驕り意を得ています。民の苦しみはどれほどでしょうか。職務の果たされ方はどうでしょうか。心に恥じるところが無ければ、一頭の馬と一台の車でも天上の楽を聴くようです。そうでなければ、それはますます自分の過ちを厚くします。女子供は驚き目を奪われるでしょうが、道のある者は笑うでしょう。だから君子の車と服と従者は、等級を分けるに足りるだけです。急いで努めるところは、自ずと別にあります。
解説
華やかな行列の描写から始め、途中で問いに転じます。民の苦しみはどれほどか、職務は果たされているか。そして条件が示されます。恥じるところが無ければ、質素な移動でも天上の楽のように心地よい。逆なら行列は過ちを厚くするだけです。女子供は驚くが道のある者は笑う、という一句も効いています。外装の量ではなく、中身との釣り合いが問われた一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
行列外装恥釣り合い質素
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