呻吟語 / 外篇・治道・廟堂の上の聚議
廟堂之上聚議者,其虛文也。當路者持不虛之成心,循不可廢之故事,特借群在以示公耳。是以尊者嚅囁,卑者唯諾,移日而退。巧於逢迎者觀其頤指意向而極口稱道,他日驟得殊榮;激於公直者知其無益有害而奮色極言,他日中以奇禍。
新字:廟堂之上聚議者,其虚文也。当路者持不虚之成心,循不可廃之故事,特借群在以示公耳。是以尊者嚅囁,卑者唯諾,移日而退。巧於逢迎者観其頤指意向而極口称道,他日驟得殊栄;激於公直者知其無益有害而奮色極言,他日中以奇禍。
書き下し
廟堂の上の聚議する者は、其れ虛文なり。當路者は虛ならざるの成心を持し、廢す可からざるの故事に循ひ、特だ群在を借りて以て公を示すのみ。是を以て尊き者は嚅囁し、卑しき者は唯諾し、日を移して退く。逢迎に巧みなる者は其の頤指意向を觀て極口稱道し、他日驟かに殊榮を得。公直に激する者は其の益無く害有るを知りて色を奮ひ極言し、他日中てらるるに奇禍を以てす。
現代語訳
朝廷で集まって議論するのは、空文です。要路にある者は空でない決まった心を持ち、廃せない前例に従い、ただ大勢がいることを借りて公を示すだけです。だから地位の高い者はもごもごと言い、低い者ははいはいと答え、時を移して退きます。迎合に巧みな者はその顎の動きや意向を見て口を極めて称え、後日にわかに格別の栄誉を得ます。公正まっすぐに憤る者は益が無く害があると知りながら色をなして極言し、後日に思いがけない禍に当たります。
解説
会議が形式になる仕組みを描きます。要路の者はすでに結論を持っていて、大勢を集めるのは公を示すためだけ。だから高い者はもごもご言い、低い者ははいと答えます。そして二種類の参加者の末路が示されます。迎合する者は栄誉を得、極言する者は禍に当たる。益が無いと知りながら言う人がいることまで書かれているのが、この段の厳しさです。
この章句が説くこと
会議形式成心迎合極言
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