呻吟語 / 外篇・治道・渾で醉夢の如し
守令於民,先有知疼知熱,如兒如女一副真心腸,甚麼愛養曲成事業做不出。只是生來沒此念頭,便與說綻唇舌,渾如醉夢。
新字:守令於民,先有知疼知熱,如児如女一副真心腸,甚麼愛養曲成事業做不出。只是生来没此念頭,便与説綻唇舌,渾如酔夢。
書き下し
守令の民に於けるは、先づ疼を知り熱を知り、兒の如く女の如き一副の真心腸有らば、甚麼の愛養曲成の事業か做し出ださざらん。只だ是れ生來此の念頭沒くんば、便ち與に唇舌を說き綻ばすも、渾で醉夢の如し。
現代語訳
郡県の長が民に対して、まず痛みを知り熱を知り、我が子のような一つの本当の心があれば、どんな愛し養い細やかに成し遂げる事業ができないでしょうか。ただ生まれつきこの思いが無ければ、唇と舌が破れるほど説いても、まるで酔いと夢の中のようです。
解説
良い政治の条件を、心の一点に絞ります。痛みと熱を知る、我が子に向けるような心。それがあれば事業は自ずと出てきます。そして無い場合の絶望が描かれます。唇と舌が破れるほど説いても、酔いと夢の中のよう。教えて身につくものではないという厳しい見方で、前に出てきた、仁は学習でも推論でもないという段と同じ立場です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
守令真心痛み教えられない我が子
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