孟子 / 公孫丑章句下
孟子自齊葬於魯。反於齊、止於嬴。充虞請曰、前日不知虞之不肖、使虞敦匠。事嚴。虞不敢請。今願竊有請也。木若以美然。曰、古者棺槨無度。中古棺七寸。槨稱之。自天子達於庶人。非直為觀美也,然後盡於人心。不得、不可以為悅。無財、不可以為悅。得之為有財、古之人皆用之。吾何為獨不然。且比化者、無使土親膚、於人心獨無恔。吾聞之、君子不以天下儉其親。
新字:孟子自斉葬於魯。反於斉、止於嬴。充虞請曰、前日不知虞之不肖、使虞敦匠。事厳。虞不敢請。今願窃有請也。木若以美然。曰、古者棺槨無度。中古棺七寸。槨称之。自天子達於庶人。非直為観美也,然後尽於人心。不得、不可以為悦。無財、不可以為悦。得之為有財、古之人皆用之。吾何為独不然。且比化者、無使土親膚、於人心独無恔。吾聞之、君子不以天下倹其親。
書き下し
孟子、齊自り魯に葬むる。齊に反り、嬴に止まる。充虞、請いて曰く、「前日は虞の不肖なるを知らず、虞をして匠を敦(おさめる)めしむ。事は嚴なり。虞、敢て請わず。今願わくは竊かに請うこと有らん。木以(はなはだ)だ美なるが若く然り。」曰く、「古者は棺槨度無し。中古は棺七寸。槨、之に稱う。天子自り庶人に達す。直に觀の美を為すに非ざるなり。然る後人の心を盡くすなり。得ざれば、以て悅びを為す可からず。財無ければ、以て悅びを為す可からず。之を得ると財有ると、古の人皆之を用う。吾何為れぞ獨り然らざらん。且つ化するときの比まで、土をして膚に親しましむる無きは、人の心に於いて獨り恔(こころよし)きこと無からんや。吾之を聞く、『君子は天下を以て其の親に儉せず。』」
現代語訳
孟子は齊に仕えていたが、母が亡くなったので魯に還り、葬儀を済ませて齊に戻る途中に、齊の領内の嬴という町に滞在した。その時弟子の充虞が尋ねた、 「先日はふつつかな私にもかかわらず、棺を作る仕事をお申しつけになりました。その時疑問に思うことが有ったのですが、何分葬儀の事で忙しく、お尋ねすることが出来ませんでした。今日は是非お教え願いたいのですが、棺に使用した木材が少し立派すぎたのではないでしょうか。」 「大昔には内棺も外棺も決まりごとはなかった。中古の周になってから、内棺の厚さは七寸と定められ、外棺の厚さもそれに見合うものになり、それは天子から庶民に至るまで皆同じであった。立派な棺を作るのは、唯だ単に外観を立派にするだけでなく、亡き親に対する気持ちを十分尽くせるからだ。法律により身分の差で葬儀の内容を制限されたりしたら、親への気持ちが十分尽くせず満足できない。又財産がなくて作れなければ満足できない。制度上も許され且つ財産も有れば、昔の人は皆立派に作ったものなのだ。私一人がどうしてそうせずにおられようか。更に埋葬した親の肉体が土に還る日まで、出来る限り土を近づけないようにすることは、子の気持ちとして親への思いを十分に尽くしたと満足させることにならないだろうか。私はこういうことを聞いたことがある、『君子は天下の為だからと言って、親の喪に倹約はしないものだ。』と。」
解説
この章句が説くこと
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