言志四録 / 南洲手抄
雲煙聚於不得已。風雨洩於不得已。雷霆震於不得已。斯可以觀至誠之作用。
新字:雲煙聚於不得已。風雨洩於不得已。雷霆震於不得已。斯可以観至誠之作用。
書き下し
雲煙は已むことを得ざるに聚る。風雨は已むことを得ざるに洩る。雷霆は已むことを得ざるに震ふ。斯に以て至誠の作用を観る可し。
現代語訳
雲や霞はやむにやまれず集まり、風雨はやむにやまれず降り、雷はやむにやまれず轟く。ここにこそ、至誠(まことの極み)のはたらきを見ることができる。
解説
自然現象を借りて「至誠」を説いた一条です。雲も雨も雷も、誰かに命じられてではなく、内から満ちた勢いが「やむにやまれず」外に現れたもの。同じように、人のまことも、計算や作為ではなく、内に満ちた誠が抑えきれずあふれ出るときに本物になる、と一斎は言います。技巧で人を動かそうとするのではなく、まず内側を誠で満たすこと。吉田松陰の「至誠にして動かざる者は未だ之あらざるなり」にも通じる、真心のはたらきを自然の姿に見た言葉です。
この章句が説くこと
至誠やむにやまれず自然真心
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