葉隠 / 聞書第二
萬事、實一つにて仕て行けば濟むものなり。其の中に奉公人は御側、外樣、大身、小身、古家、取立などに付て、それぐ/\に、少しづ/\の心入は替るべし。御前近き奉公などは、差出でたること第一わろきなり。大人の御嫌ひ候ものなり。御前の仕事は成程引取りて、あれにては埒が明きかぬるが、されども別に人がなければと思召さるゝ位がよきなり。さて、先役はもとより、同役を成程御用に立つ樣に仕なし、若し病氣差支役替りなどの時、御事缺き候に付て、我が身勤め候樣に心得たるがよし。これが道にてもあるべし。兔角忠節を根にして見ればよく知れ候なり。早出頭、のうぢなきものなり。古來例多し。幼少より御前に相勤め候へども、一言を尖に申上げたる事なし。玆には、いから心得ある事に候となり。
新字:万事、実一つにて仕て行けば済むものなり。其の中に奉公人は御側、外様、大身、小身、古家、取立などに付て、それぐ/\に、少しづ/\の心入は替るべし。御前近き奉公などは、差出でたること第一わろきなり。大人の御嫌ひ候ものなり。御前の仕事は成程引取りて、あれにては埒が明きかぬるが、されども別に人がなければと思召さるゝ位がよきなり。さて、先役はもとより、同役を成程御用に立つ様に仕なし、若し病気差支役替りなどの時、御事欠き候に付て、我が身勤め候様に心得たるがよし。これが道にてもあるべし。兔角忠節を根にして見ればよく知れ候なり。早出頭、のうぢなきものなり。古来例多し。幼少より御前に相勤め候へども、一言を尖に申上げたる事なし。玆には、いから心得ある事に候となり。
書き下し
万事、実(じつ)一つにて仕(し)て行けば済むものなり。其の中に奉公人は御側(おそば)、外様(とざま)、大身(たいしん)、小身(しょうしん)、古家(ふるいえ)、取立(とりたて)などに付て、それぞれに、少しづつの心入(こころいれ)は替わるべし。御前(ごぜん)近き奉公などは、差し出でたること第一わろきなり。大人(たいじん)の御嫌い候ものなり。御前の仕事は成程(なるほど)引き取りて、あれにては埒(らち)が明きかぬるが、されども別に人がなければと思召(おぼしめ)さるる位がよきなり。さて、先役(せんやく)はもとより、同役を成程御用に立つ様に仕(し)なし、若し病気差支(さしつかえ)役替りなどの時、御事欠き候に付て、我が身勤め候様に心得たるがよし。これが道にてもあるべし。兎角(とかく)忠節を根にして見ればよく知れ候なり。早出頭(はやしゅっとう)、のうぢなきものなり。古来例多し。幼少より御前に相勤め候へども、一言を尖(さき)に申し上げたる事なし。玆(ここ)には、いから心得ある事に候となり。
現代語訳
何事も真心ひとつで貫けば済むものだ。奉公人には主君の側近、外様、身分の高い者、低い者、古参、新参などの立場があり、それぞれに少しずつ心構えは変わってくる。主君の側近くに仕える奉公では、差し出がましいことが何より悪い。目上の方が嫌われるものだ。御前での仕事は進んで引き受け、「あの者では埒が明かないが、しかし他に人がいないから」と思われるくらいがちょうどよい。先輩はもちろん、同僚もできるだけ役に立つように取り計らい、もし病気や差し支えで役替わりがあり人手が足りないときは、自分が務めるつもりで心得ておくのがよい。これが道でもあろう。とかく忠節を根本に据えて見ればよく分かる。早すぎる出世は根がないものだ。昔から例は多い。幼い頃から御前に仕えてきたが、一言も尖った物言いを申し上げたことはない。ここには深い心得があるのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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