呻吟語 / 外篇・治道・二帝三王にも誠偽の分有り
若到細分別處,二帝三王便有誠偽之分,何況霸者?
新字:若到細分別処,二帝三王便有誠偽之分,何況覇者?
書き下し
若し細かく分別する處に到らば、二帝三王にも便ち誠偽の分有り。何ぞ況んや霸者をや。
現代語訳
もし細かく区別するところまで行けば、二帝三王にも誠と偽の区別があります。まして覇者ならなおさらです。
解説
前の段を補います。誠と偽で分けるのが不適切なのは、粗い区別だからというだけではありません。細かく見れば聖王にも誠と偽の別があるからです。つまり誠偽は人を二分する物差しではなく、誰の中にも混じっているということになります。覇者だけを偽りの側に置く見方が、これで完全に崩れます。前の長い議論を、一句で締め直した一段です。
この章句が説くこと
誠偽程度聖王物差し混在
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