呻吟語 / 外篇・治道・天地の和を傷る
恕者,聖人之仁也。彼不平者,加之以深,不恕者,加之以刻,其傷天地之和多矣。
書き下し
恕なる者は、聖人の仁なり。彼の平ならざる者は、之に加ふるに深きを以てし、恕ならざる者は、之に加ふるに刻を以てす。其の天地の和を傷ること多し。
現代語訳
恕は聖人の仁です。あの平らかでない者は、そこに深さを加え、恕でない者は、そこに刻さを加えます。天地の和を損なうことが多いのです。
解説
前の段を受けて、恕を仁だとします。そして逆の場合が示されます。平らかでない者は深さを加え、恕でない者は刻さを加える。深さは追及の深さ、刻さは容赦の無さです。公と仁が欠けると、そこに入るのは冷たさだということになります。そして結果は天地の和を損なうこと。裁く側の徳が、場の空気まで左右するという構図になっています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
恕仁深刻和欠落
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『弁名』元亨利貞故に易の亨・利は、其の義相似たり。亨は其の道の行はるるを主として之を言ひ、利は其の事を行ひて成功有るを主として之を言ふ。是れ其の異なるのみ。仮如へば聘享を以て之を言へば、則ち此に藉りて諸侯和順し、国其の福を被る、是れ利なり。故に経文は利を受くる者を主として之を言ふ。而して文言の「物を利す」と曰ふに至りては、則ち利を施す者を主として之を言ふ。物を利すとは、万物を利益す、是れ仁なり。必ず義を以て之を済して、而る後に物得て利益すべし。故に「物を利して以て義を和するに足る」と曰ふ。和とは五味相和するの和の如し。異を以て同を済すを謂ふなり。仁は大なり。苟も義以て之を差別するに非ずんば、則ち仁成すべからず。是れ文言は皆君子の道を以て易を解するのみ。
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