呻吟語 / 外篇・治道・民を勞し財を傷るより大なる事有り
事有大於勞民傷財者,雖勞民傷財亦所不顧。事有不關利國安民者,雖不勞民傷財亦不可為。
新字:事有大於労民傷財者,雖労民傷財亦所不顧。事有不関利国安民者,雖不労民傷財亦不可為。
書き下し
事に民を勞し財を傷るより大なる者有らば、民を勞し財を傷ると雖も亦た顧みざる所なり。事に國を利し民を安んずるに關はらざる者有らば、民を勞し財を傷らずと雖も亦た為す可からず。
現代語訳
事に、民を労し財を損なうより大きなものがあれば、民を労し財を損なっても顧みません。事に、国を利し民を安んじることに関わらないものがあれば、民を労さず財を損なわなくてもやってはいけません。
解説
民を労するかどうかを、判断の基準から外します。基準は別にあって、それより大事なことがあれば労してもよく、無関係なら労さなくてもやってはいけない。ここが要点で、負担の有無ではなく目的で決まります。前に出てきた、かき乱さないことを安らかさとするという段と一見反しますが、あちらは目的の無い干渉を指していました。基準を目的に一本化した一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
労民基準目的負担判断
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