呻吟語 / 外篇・治道・天命と人心
天下之存亡繫兩字,曰「天命」。天下之去就繫兩字,曰「人心」。
新字:天下之存亡繋両字,曰「天命」。天下之去就繋両字,曰「人心」。
書き下し
天下の存亡は兩字に繫かる、天命と曰ふ。天下の去就は兩字に繫かる、人心と曰ふ。
現代語訳
天下が存するか亡ぶかは二字に懸かっています。天命と言います。天下が去るか就くかは二字に懸かっています。人心と言います。
解説
天下の行方を、二つの二字語に集約します。存亡は天命、去就は人心。並べられることで、二つが別のものとして扱われているのが分かります。天命は結果として現れ、人心は日々動くもの。手が届くのは後者だけです。前の段で人々の心の向き背きを察せよと言われた直後に置かれており、人心を実務の対象として示す形になっています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天命人心存亡去就手の届く
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