呻吟語 / 外篇・治道・苟しくも可なりの三字
天下之思,莫大於「苟可以」而止。養頹靡不復振之習,成亟重不可反之勢,皆「苟可以」三字為之也。是以聖人之治身也,勤勵不息;其治民也,鼓舞不倦。不以無事廢常規,不以無害忽小失。非多事,非好勞也,誠知夫天下之事,廑未然之憂者尚多;或然之悔懷,太過之慮者猶貽不及之;憂兢慎始之圖者,不免怠終之患故耳。
新字:天下之思,莫大於「苟可以」而止。養頹靡不復振之習,成亟重不可反之勢,皆「苟可以」三字為之也。是以聖人之治身也,勤勵不息;其治民也,鼓舞不倦。不以無事廃常規,不以無害忽小失。非多事,非好労也,誠知夫天下之事,廑未然之憂者尚多;或然之悔懐,太過之慮者猶貽不及之;憂兢慎始之図者,不免怠終之患故耳。
書き下し
天下の思ひは、「苟しくも以て可なり」より大なるは莫くして止む。頹靡にして復た振るはざるの習ひを養ひ、亟重にして反す可からざるの勢ひを成すは、皆な「苟可以」の三字之を為すなり。是を以て聖人の身を治むるや、勤勵して息まず。其の民を治むるや、鼓舞して倦まず。事無きを以て常規を廢せず、害無きを以て小失を忽せにせず。多事に非ず、勞を好むに非ざるなり。誠に夫の天下の事、未然の憂ひを廑くする者尚ほ多く、或いは然らば悔いを懷き、太過の慮りする者は猶ほ不及を貽すを知る。憂ひは始めを兢慎するの圖にして、終はりを怠るの患ひを免れざる故のみ。
現代語訳
天下の心配ごとで、まあこれでよいだろう、というより大きなものはありません。そこで止まります。衰えて二度と振るわない習慣を養い、重くなって戻せない勢いを作るのは、みなこの三字がすることです。だから聖人は身を治めるのに励んで休まず、民を治めるのに鼓舞して倦みません。何事も無いからと常の決まりを廃さず、害が無いからと小さな失敗を忽せにしません。多事なのでも労を好むのでもありません。天下の事は、まだ起きていない憂いを気にかけるものがなお多く、起きてしまえば悔いを抱き、心配しすぎる者でさえ及ばないものを残す、と本当に知っているからです。憂いは始めを慎む計らいであっても、終わりを怠る患いを免れないからです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』貴義子墨子曰く、今、士の身を用うるは、商人の一布を用うるの慎しみに若かざるなり。商人、一布を用うるに、敢えて茍くも繼ぎて讎らず、必ず良き者を擇ぶ。今、士の身を用うるは則ち然らず。意の欲する所は則ち之を為す。厚き者は刑罰に入り、薄き者は毁醜を被る。則ち士の身を用うるは、商人の一布を用うるの慎しみに若かざるなり。
-
『呻吟語』内篇・修身・再び一步を思へば更に好し事の心下に放ち得るに到るも、還た一たび慎むも何ぞ妨げん。言の來たりて口邊に向かふも、再び一步を思へば更に好し。
-
論語・為政篇子張禄を干(もと)むを学ぶ。子曰く、多く聞いて疑わしきを闕(か)き、其の余を慎言すれば、則ち尤(とがめ)寡なし。多く見て殆(あやう)きを闕き、其の余を慎行すれば、則ち悔寡なし。言に尤寡なく、行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。
-
論語・述而篇子の慎む所は、斉・戦・疾なり。
-
老子・第15章古の善く士たる者は、微妙玄通、深くして識るべからず。夫れ唯だ識るべからず、故に強いて之が容を為す。豫として冬に川を渉るが若く、猶として四隣を畏るるが若く、儼としてそれ客の若く、渙として氷の将に釈けんとするが若く、敦としてそれ樸の若く、曠としてそれ谷の若く、混としてそれ濁れるが若し。孰か能く濁りて以て之を静かにして徐ろに清まさん。孰か能く安んじて以て久しく之を動かして徐ろに生ぜん。此の道を保つ者は盈つるを欲せず。夫れ唯だ盈たず、故に能く蔽れて新たに成る。
-
孫子・火攻篇故に明主は之を慎み、良将は之を警む。此れ国を安んじ軍を全うするの道なり。