呻吟語 / 外篇・治道・先王何を以て此れを人に得たるか
聖人感人心於患難處更驗。蓋聖人平日仁漸義摩,深思厚澤,入於人心者化矣。及臨難處倉卒之際,何暇思圖,拿出見成的念頭來,便足以捐軀赴義。非曰我以此成名也,我以此報君也。彼固亦不自知其何為,而迫切至此也。其次捐軀而志在圖報。其次易感而終難。其次厚賞以激其感。噫!至此而上下之相與薄矣,交孚之志解矣。嗟夫!先王何以得此於人哉?
新字:聖人感人心於患難処更験。蓋聖人平日仁漸義摩,深思厚沢,入於人心者化矣。及臨難処倉卒之際,何暇思図,拿出見成的念頭来,便足以捐軀赴義。非曰我以此成名也,我以此報君也。彼固亦不自知其何為,而迫切至此也。其次捐軀而志在図報。其次易感而終難。其次厚賞以激其感。噫!至此而上下之相与薄矣,交孚之志解矣。嗟夫!先王何以得此於人哉?
書き下し
聖人の人心を感ぜしむるは患難の處に於て更に驗あり。蓋し聖人は平日仁もて漸し義もて摩し、深思厚澤、人心に入る者化するなり。難に臨み倉卒の際に處するに及びて、何ぞ思圖するに暇あらん。見成の念頭を拿み出だし來たれば、便ち以て軀を捐て義に赴くに足る。我此れを以て名を成すと曰ふに非ず、我此れを以て君に報ゆるに非ず。彼固より亦た自ら其の何為れぞと知らずして、迫切して此に至るなり。其の次は軀を捐てて志は報を圖るに在り。其の次は感じ易くして終に難し。其の次は厚賞して以て其の感を激す。噫、此に至りて上下の相ひ與すること薄く、交孚の志解けたり。嗟夫、先王は何を以て此れを人に得たるか。
現代語訳
聖人が人の心を動かすのは、患難の場面でいっそう明らかになります。聖人は平生から仁で染み込ませ義で磨き、深い思いと厚い恵みが人の心に入って化しているのです。難に臨み慌ただしい際になれば、考える暇がありません。出来合いの思いを掴み出せば、身を捨てて義に赴くのに足ります。これで名を成そうというのでも、これで君に報いようというのでもありません。本人も自分がなぜそうするのか知らないまま、切迫してここに至ります。その次は身を捨てても志が報いを図ることにあります。その次は感じやすいが最後まで続きません。その次は厚い賞でその感動を煽ります。ああ、ここまで来ると上下の交わりは薄く、信じ合う志はほどけています。ああ、先王はどうしてこれを人から得たのでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』外篇・治道・薰陶の功を盡くす人情は是非利害を論ぜず、己に便なる者を樂しみ、己に便ならざる者を惡まざるは莫し。官に居り政を立つるに、殃民を論ずる無く、即ち教養諄諄、禁令惓惓たるは、何ぞ嘗て其の相ひ養ひ相ひ安んじ、禍を免れ罪に遠ざかるを欲せざらんや。然れども政一たび行はれて、未だ怨まざる者有らず。故に聖人は之に先んずるに躬行を以てし、之に浸すに口語を以てし、之に示すに好惡を以てし、之を激するに賞罰を以てす。日に積み月に累ね、意に耐へ心を精しくし、但だ薰陶の功を盡くして、俄頃の效を計らず。然る後に民は善の當に為すべく、惡の恥づ可きを知り、默化潛移して、聖人に服從す。今無本の令を以て、久しく散ぜる民に責め、旦夕の效を求め、從はざるの怒りを逞しくし、頑に忿疾して、敏德の治を望む。即ち我且つ亦た愚不肖なる者にして、何ぞ蚩蚩の氓を怪しまんや。
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『呻吟語』外篇・人情・其の難言の情を識る人の情は、言然りと雖も意未だ必ずしも然らざる有り、事然りと雖も意未だ必ずしも然らざる者有り。事勢に勉強するに非ずんば、則ち體面に束縛せらる。善く人を體する者は、要は其の難言の情を識りて、其れをして言と事とに苦しむ所と為らしめざるに在り。此れ聖人の人心を感ぜしめて、人樂しみて之が為に死する所以なり。
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『呻吟語』外篇・人情・其の體面を養ふ人顧惜する所無き時に到らば、君父の尊も之をして嚴ならしむる能はず、鼎鑊の威も之をして懼れしむる能はず、千言萬語も之をして喻らしむる能はず。聖人と雖も亦た之を如何ともする無きのみ。聖人は其の然るを知るなり。每に其の體面を養ひ、其の情私を體して、之をして顧惜する所無きに至らしめず。
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