呻吟語 / 外篇・治道・聖人の民を治むるは水を治むるが如し
民情有五,皆生於便。見利則趨,見色則愛,見飲食則貪,見安逸則就,見愚弱則欺,皆便於己故也。惟便,則術不期工而自工;惟便,則奸不期多而自多。君子固知其難禁也,而德以柔之,教以偷之,禮以禁之,法以懲之,終日與便為敵,而競不能衰止。禁其所便,與強其所不便,其難一也。故聖人治民如治水,不能使不就下,能分之使不泛溢而已。堤之使不決,雖堯、舜不能。
新字:民情有五,皆生於便。見利則趨,見色則愛,見飲食則貪,見安逸則就,見愚弱則欺,皆便於己故也。惟便,則術不期工而自工;惟便,則奸不期多而自多。君子固知其難禁也,而徳以柔之,教以偷之,礼以禁之,法以懲之,終日与便為敵,而競不能衰止。禁其所便,与強其所不便,其難一也。故聖人治民如治水,不能使不就下,能分之使不泛溢而已。堤之使不決,雖堯、舜不能。
書き下し
民情に五有り、皆な便に生ず。利を見れば則ち趨き、色を見れば則ち愛し、飲食を見れば則ち貪り、安逸を見れば則ち就き、愚弱を見れば則ち欺く。皆な己に便なるが故なり。惟だ便なれば、則ち術は工を期せずして自ら工なり。惟だ便なれば、則ち奸は多きを期せずして自ら多し。君子固より其の禁じ難きを知る。而して德もて之を柔らげ、教もて之を諭し、禮もて之を禁じ、法もて之を懲らす。終日便と敵を為すも、竟に衰へ止むる能はず。其の便とする所を禁ずるは、其の便とせざる所を強ふると、其の難きこと一なり。故に聖人の民を治むるは水を治むるが如し。下に就かざらしむる能はず、分かちて泛溢せざらしむるを能くするのみ。之を堤して決せざらしむるは、堯・舜と雖も能はず。
現代語訳
民の情に五つあり、みな都合のよさから生じます。利を見れば走り、色を見れば愛し、飲食を見れば貪り、安逸を見れば就き、愚かで弱い者を見れば欺く。みな自分に都合がよいからです。都合がよければ、手口は巧みさを期さずとも自ずと巧みになります。都合がよければ、悪事は多きを期さずとも自ずと多くなります。君子はもともと禁じがたいと知っています。それで徳で和らげ、教えで諭し、礼で禁じ、法で懲らします。一日中都合のよさを敵にしても、ついに衰え止めることができません。都合のよいことを禁じるのは、都合の悪いことを強いるのと、難しさが同じです。だから聖人が民を治めるのは水を治めるようなものです。低い方へ行かせないことはできず、分けて溢れさせないようにできるだけです。堤で塞いで切れさせないのは、堯舜でもできません。
解説
この章句が説くこと
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