呻吟語 / 外篇・治道・君臣天を以て法を行ふ
王法上承天道,下顧人情,要個大中至正,不容有一毫偏重偏輕之制。行法者,要個大公無我,不容有一毫故出故入之心,則是天也。君臣以天行法,而後下民以天相安。
新字:王法上承天道,下顧人情,要個大中至正,不容有一毫偏重偏軽之制。行法者,要個大公無我,不容有一毫故出故入之心,則是天也。君臣以天行法,而後下民以天相安。
書き下し
王法は上は天道を承け、下は人情を顧み、個の大中至正を要して、一毫も偏重偏輕の制有るを容れず。法を行ふ者は、個の大公無我を要して、一毫も故らに出し故らに入るるの心有るを容れず。則ち是れ天なり。君臣天を以て法を行ひて、而る後に下民天を以て相安んず。
現代語訳
王の法は、上は天の道を受け、下は人の情を顧みて、大いに中りきわめて正しいことを求め、毛ほどの偏りある定めも許しません。法を行う者は、大いに公で我が無いことを求め、毛ほどの恣意で罪を外したり入れたりする心も許しません。それでこそ天です。君と臣が天として法を行い、その後に民が天として互いに安んじます。
解説
法を天と呼ぶ条件を、二つに分けます。作るときは天の道と人の情の両方を受け、偏りが無いこと。行うときは公で、恣意で罪を出し入れしないこと。どちらか一方では足りません。そして君臣が天として行えば、民も天として安んじると結ばれます。天という語が、上の権威ではなく偏りの無さの別名として使われているのが要点で、法の正当性を偏りの無さに置いた一段です。
この章句が説くこと
王法天偏り恣意公
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