呻吟語 / 外篇・品藻・渠輩は當に之を高閣に束ぬべし
極寬過厚足恭曲謹之人,亂世可以保身,治世可以敦俗。若草昧經綸,倉卒籌畫,荷天下之重,襄四海之難,永百世之休,旋乾轉坤,安民阜物,自有一等英雄豪傑,渠輩當束之高閣。
新字:極寛過厚足恭曲謹之人,乱世可以保身,治世可以敦俗。若草昧経綸,倉卒籌画,荷天下之重,襄四海之難,永百世之休,旋乾転坤,安民阜物,自有一等英雄豪傑,渠輩当束之高閣。
書き下し
極寬過厚足恭曲謹の人は、亂世には以て身を保つ可く、治世には以て俗を敦くす可し。若し草昧經綸、倉卒籌畫、天下の重きを荷ひ、四海の難を襄け、百世の休を永くし、乾を旋らし坤を轉じ、民を安んじ物を阜かにするは、自ら一等の英雄豪傑有り。渠輩は當に之を高閣に束ぬべし。
現代語訳
きわめて寛く厚すぎ恭しすぎ細かく慎む人は、乱世では身を保てますし、治世では風俗を厚くできます。しかし草創の経綸や急場の計画、天下の重荷を担い四海の難を救い、百世の安らぎを永くし、天地をひっくり返し、民を安んじ物を豊かにすることとなれば、別に一等の英雄豪傑がいます。そういう人たちは、棚に上げておくべきです。
解説
温厚で慎み深い人の使い道を、平時に限ります。乱世では身を守れ、治世では風俗を厚くできる。しかし創業や急場には別の人材が要り、彼らは棚に上げておけと言います。人材を否定せず、場面によって使い分ける構えで、前に出てきた、非常時には破れのある人を用いよという段と同じ立場です。棚に上げよという言い方に、断固とした調子が出ています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
寛厚平時創業人材使い分け
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