呻吟語 / 外篇・品藻・不中用と不濟事
故今之稱拙鈍者曰不中用,稱昏庸者曰不濟事。此雖諺語口頭,余嘗愧之同志者,盍亦是務乎?
新字:故今之称拙鈍者曰不中用,称昏庸者曰不済事。此雖諺語口頭,余嘗愧之同志者,盍亦是務乎?
書き下し
故に今の拙鈍を稱する者は不中用と曰ひ、昏庸を稱する者は不濟事と曰ふ。此れ諺語口頭なりと雖も、余嘗て之を愧づ。同志者、盍ぞ亦た是れ務めざる。
現代語訳
だから今の世で不器用で鈍い者を、役に立たないと言い、暗く凡庸な者を、事を成さないと言います。これは俗な言い回しにすぎませんが、私はかつてこれを恥じました。志を同じくする者よ、これを務めないでよいでしょうか。
解説
日常の悪口を、そのまま評価基準として引き受けます。役に立たない、事を成さない。世間が人を貶す言葉が、そのまま自分への問いになる、と。俗語を学問の基準に採るという発想が面白く、前の段の実用一点の主張を、身近な言葉で補強した一段になっています。世間の悪口が、そのまま自分への問いに変わっています。俗な言葉を学問の基準に採る発想が、面白いところです。
この章句が説くこと
俗語実用恥基準日常
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