呻吟語 / 内篇・倫理・禮を守るは愧づるに足らず
守禮不足愧,抗於禮乃可愧也。禮當下則下,何愧之有?
新字:守礼不足愧,抗於礼乃可愧也。礼当下則下,何愧之有?
書き下し
禮を守るは愧づるに足らず、禮に抗するは乃ち愧づ可きなり。禮の當に下るべくんば則ち下る、何の愧か之れ有らん。
現代語訳
礼を守ることは恥じるに足りません。礼に逆らうことこそ恥じるべきです。礼として下るべきなら下る。何の恥がありましょうか。
解説
へりくだることを恥と思う感覚が、正面から否定されます。恥ずべきは礼に逆らうことであって、礼に従って下ることではない、と。二十五字の短い一段ですが、地位や面子にこだわる人への当て身になっています。従うか逆らうかを、自分の体面ではなく礼という基準で決める。前段で礼を愛する思いが名を愛する思いに勝ると述べたのと、同じ姿勢です。
この章句が説くこと
守礼抗礼恥面子基準
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