呻吟語 / 外篇・品藻・眾人には偏長を取る
是眾人,即當取其偏長;是賢者,則當望以中道。
新字:是眾人,即当取其偏長;是賢者,則当望以中道。
書き下し
是れ眾人ならば、即ち當に其の偏長を取るべし。是れ賢者ならば、則ち當に望むに中道を以てすべし。
現代語訳
大勢の人であれば、その偏った長所を取るべきです。賢者であれば、中道をもって望むべきです。
解説
相手によって期待の水準を変えよと言います。普通の人には偏った長所を取り、賢者には中道を求める。同じ基準を全員に当てれば、普通の人からは何も取れず、賢者は甘やかされます。前に出てきた、孟子は水準が高すぎるが今はそれ以下だという段と同じ、相手に応じた基準の使い分けです。基準を一つにすると、どちらの人も活かせなくなります。
この章句が説くこと
水準偏長中道期待使い分け
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