呻吟語 / 外篇・品藻・人を觀るに括するに五品を以てす
觀人括以五品:高、正、雜、庸、下。獨行奇識曰高品,賢智者流。擇中有執曰正品,聖賢者流。有善有過曰雜品,勸懲可用。無短無長曰庸品,無益世用。邪偽二種曰下品,慎無用之。
新字:観人括以五品:高、正、雑、庸、下。独行奇識曰高品,賢智者流。択中有執曰正品,聖賢者流。有善有過曰雑品,勧懲可用。無短無長曰庸品,無益世用。邪偽二種曰下品,慎無用之。
書き下し
人を觀るに括するに五品を以てす。高・正・雜・庸・下なり。獨行奇識を高品と曰ふ、賢智者の流なり。中を擇びて執る有るを正品と曰ふ、聖賢者の流なり。善有り過有るを雜品と曰ふ、勸懲用ふ可し。短無く長無きを庸品と曰ふ、世用に益無し。邪偽の二種を下品と曰ふ、慎みて之を用ふる無かれ。
現代語訳
人を観るのに五つの品でくくります。高、正、雑、庸、下です。独りで行い奇抜な識見を持つのを高品と言い、賢者智者の類です。中を択んで守るのを正品と言い、聖賢の類です。善もあり過ちもあるのを雑品と言い、励ましと戒めで用いられます。短所も長所も無いのを庸品と言い、世の用に益がありません。邪と偽の二種を下品と言い、慎んで用いてはいけません。
解説
人を五品に分け、それぞれ用い方まで示します。注目すべきは高より正が上とされる点で、奇抜な識見より中を択んで守るほうが高いのです。そして短所も長所も無い庸品が、雑品より下に置かれます。過ちがあっても使える人のほうが、無難な人より上だという判定になっています。過ちがあっても使える人のほうが、無難な人より上なのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
五品人材正庸用い方
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