呻吟語 / 外篇・聖賢・眾人自ら聖人に異なる
聖人與眾人一般,只是盡得眾人的道理,其不同者,乃眾人自異於聖人也。
新字:聖人与眾人一般,只是尽得眾人的道理,其不同者,乃眾人自異於聖人也。
書き下し
聖人と眾人と一般なり。只だ是れ眾人の道理を盡くし得るのみ。其の同じからざる者は、乃ち眾人自ら聖人に異なるなり。
現代語訳
聖人と大勢の人は同じです。ただ大勢の人が持つ道理を尽くしきっているだけです。違っているのは、大勢の人のほうが聖人と違ってしまっているのです。
解説
聖人と常人の差を、持っているものの違いではなく尽くし方の違いに置きます。同じ道理を、聖人は尽くし、常人は尽くさない。だから違うのは常人の側だ、と。主語を入れ替えることで、聖人が特別なのではなく常人が外れているという構図になります。到達の可能性を開く一段です。主語を入れ替えて、到達の可能性を開いた一段です。
この章句が説くこと
聖凡同一尽くす主語可能性
関連する章句
-
孟子・滕文公章句上滕の文公、世子為りしとき、將に楚に之かんとし、宋に過ぎりて孟子を見る。孟子、性善を道い、言えば必ず堯舜を稱す。世子、楚自り反りて、復た孟子を見る。孟子曰く、「世子は吾が言を疑うか。夫れ道は一のみ。成ᓟ(ケン)、齊の景公に謂いて曰く、『彼も丈夫なり。我も丈夫なり。吾何ぞ彼を畏れんや。』顏淵曰く、『舜何人ぞや。予何人ぞや。為す有る者亦た是の若し。』公明儀曰く、『文王は我が師なり。周公豈に我を欺むかんや。』今、滕、長をࡼち短を補わば、將に五十里ならんとす。猶ほ以て善國と為す可し。書に曰く、『若し藥瞑眩(メン・ゲン)せずんば、厥の疾瘳(いえる)えず。』」
-
孫子・形篇故に戦いを善くする者は、不可勝を為すこと能うも、敵をして必ず勝つべからしむること能わず。
-
論語・子罕篇子曰く、後生畏る可し。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆること無くんば、斯れ亦た畏るるに足らざるのみ。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・天地純粹の氣索然として一空す亙古の五帝三王の散ぜざる精英、鑄成して一個の孔子と為る。餘る者は猶ほ顏・曾以下の諸賢より思・孟に至るを成す。而して天地純粹の氣は索然として一空す。春秋戰國の君臣の不肖なるや宜なるかな。此より後なる者は聖人の出づる無し。孔・孟諸賢の精英を靳しみて、未だ盡くは泄れざるか。
-
論語・衛霊公篇子曰く、教え有りて類無し。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・吾嘗て之を人天と謂ふ化育に參贊する底の聖人は、人類の中に在りと雖も、其の實は是れ個の活天なり。吾嘗て之を人天と謂ふ。